6/21〜6/30の「続彗星日記」は、98年4月25日現在行方不明になっております。
1997年6月20日(金)
台風7号は東よりに向きを変え、岡山地方は10時すぎから晴れ間が見られるようになった。夕日が沈む寸前、雲の高層のほうは灰色なのに、低い部分がオレンジ色に異様に輝いていた。地平線すれすれに光りが差し込むため、雲の形によってはああいうふうに見えるのだろうと思うが、不思議な現象だ。
それにしても、日の入りが遅い。研究室に行くために19時15分頃家を出たが、まだ日の入り前。それと、沈む方向が半田山の稜線方向、ちょうどHB彗星が初めて西空に見えたあたりに達しているのに驚いた。そういえば、まもなく夏至だ。
夜は晴れ上がった。ふだん夜空に殆ど関心を示さない妻が、ベランダに出て“ねえ、みんな、月がとっても綺麗よ!”と家族を呼び寄せる。満月が南の空に輝いていた。私が、“夏至が近いので、太陽の高度が上がる一方で、その正反対にある満月の高度は一番低くなる。だから、夏至の頃は、北極では満月は見えないはずだ...。”と、解説を始めるが、誰も耳を傾けようとしなかった。
写真は、きのうご紹介した岡山県自然保護センター(佐伯町)にあった、桑の実。田植えの後で、みんなで食べた。木の枝から直接とって食べたのは生まれて初めてだった。
土曜日は、午後から、この満月に関係した、あることを計画している。何を計画しているのかは、明日のお楽しみということで。
1997年6月19日(木)
6月としては珍しく台風が接近し、朝から雲が激しく動き、晴れたり、急に雨が降ったり、と変わりやすい天気だった。昼食前に、きのう出しておいた写真を受け取る。ここに張り付けたのは、14日の田植え体験の時の写真。佐伯町の岡山県自然保護センターにて。この田んぼの周辺には、ドジョウ、カスミサンショウウオ、ミズカマキリ、タイコウチなどが棲み着いている。
それにしても、このところ1週間が飛ぶように過ぎる。月曜は卒論演習の準備にあけくれる。火曜は朝一番のS短大の授業でくたびれる。午後は、小テストの採点など。水曜日は、会議が多い。きょう木曜日になって、やっと、論文にとりかかれる。ああ、もうすぐ、1年の半分が過ぎてしまう。
1997年6月18日(水)
朝から晴天で暑い。きのう給料日だったので、昼食前に、郵便局へ行って、簡易保険半年分を払い込む。これで10万円。車の車検は、部品交換がかさんで15万円。奨学金の返済が10万円。これらはみな6月のボーナスで補う。ボーナスの残りは、夏休みの小旅行と12月までの赤字補てん用。これでは何年たっても、貯金が増えないはずだ。
昼からは定例の会議。13:30から始まって19:30に終わる。こんな長い会議ができるのは、大学ぐらいだろう。それにしても学部長はすごい。トイレにも行かず、ずっと議長をつとめていた。私は何をしているかと言えば、“スクラップブック”をお読みの方はお察しがつくと思うが、会議では発言数の多いほうからTop5に入る。実際、こんな長時間、黙って座っているのは耐えられない。発言こそ最良のストレス解消法だ。
写真は、パンヤソウ。園芸の本によれば、果実の形がパンヤノキに似ているところから、こう呼ばれているそうだ。5年ほど前に、園芸店で、パンヤソウとブルーレースフラワーとデルヒニウムの苗を買った。他の2つは大した花も咲かずに1年で枯れてしまったが、パンヤソウだけは根が増え、種もいっぱい取れて、どんどん増え続けている。
1997年6月17日(火)
よく晴れて暑かった。朝方は例によって、S短大で非常勤講師。終わるとぐったり疲れる。それにしても、ここの学生は、口から先に生まれてきたのではないかと思うぐらい、おしゃべりばかりする。授業に支障が出たので、最近は、必ず1人分ずつ座席を空けて座らせ、それでもしゃべる人は強制的に教卓に近い席に移動させることにしている。今日も1名、移動させた。
S短大に行く途中には、岡山では有名な斎場がある。いつも何気なく通っていたが、きょうの帰り道は“Web日記界”で葬儀屋さんのことが話題になっていたことを思い出した。ここはいつ通っても、葬式が行われている。私も、いずれ、この場所に運ばれるのだろうか。
午後から研究室に戻る。部屋によっては早くもエアコンを使っているところがあった。規定では、省エネルギー対策のため、確か7月10日以降でないと使えない建前になっているが、気温が30度を超えたときや、業務に支障があるときは使ってもよいことになっている。エアコン嫌いの私は、極力控えているが。
写真はハルシャギク。この花については、以前に説明を書いたことがある【現在掲載しておりません】。年によっては、文・法・経三学部西側の草地が一面、この花で覆い尽くされることがある。今年は、用務員さんの草刈りの時期が遅かったので、どれだけ咲くかわからない。
1997年6月16日(月)
曇りがちの、いかにも梅雨らしい一日だった。実験室の前のビワは、いよいよ実が熟してきた。私もたまに頂戴するが、何の世話もしていないので、小粒で甘味が少ない。動物実験室のハムスターも、最初は喜んで種まで丸ごと食べていたが、この数日はとうとう残すようになってしまった。
午後は、卒論生向けの授業。就職活動のため欠席する者が多いので、この授業ではリポートをEメイルで私まで送ってもらい、Webページ上で公開することを義務づけている。今日は、就職活動ではなく、飼い猫のお産があるので来られないとの電話が入った。これも、猫の命にかかわることだから、ダメだとは言えない。ただ、人の手を借りなければお産ができないとは、猫も情けない。
写真は、リモニウム。花屋ではふつうスターチスと呼ばれている。長持ちする上にドライフラワーにしても褪色が少ないので重宝されている。
1997年6月15日(日)
昼から雨が降るというような予報だったので、その前にと、朝から息子と野球をする。降り出したら止めるつもりで、気軽に始めたが、いっこうに雨は降り出さず、とうとう昼になってしまった。
昼は、ジョリーパスタというスパゲティとピザの店で外食。ちょっと前までは、子どもたちはスパゲティ・ミートソースぐらいしか注文しなかったが、近頃は、だいぶメニューの選択がうるさくなってきた。給料日前で苦しいのに、4000円の出費となった。
夜は父の日のプレゼントをもらう。息子からは、“おとうさん、いろいろとありがとう”というメッセージが織り込まれたステレオグラム印刷とババロア、娘からは花とハンカチをもらった。反抗期が進行中のため、来年以降にも、こういうプレゼントがもらえるかどうか定かではない。
写真は、岡大構内を流れる農業用水。もうすぐ、スジエビが見られるのが楽しみだ。
1997年6月14日(土)
朝は、佐伯町の岡山県自然保護センターへ、親子の田植え体験に行く。センターがこれを企画するのは今年で5回目ぐらいになると聞いているが、我が家は、今年で3回目の参加となった。今日はたぶん30度を超える暑さだったが、田んぼの水はちょうどよい温度で、裸足で泥に浸かるのが心地よかった。30人ほどの親子で約1時間かけて完了。センター指導員の説明では、この田んぼで、だいたい30kgのお米(玄米換算)がとれるという(肥料を入れるなど手間をかければ60kgまでとれるらしい)。これは、妻の話では、我が家では2-3ヶ月程度の消費量にあたる。ということは、1軒の1年分のお米を確保するのに、この4-6倍もの田んぼが必要になる。昔から、野菜をたくさん食べる割には、野菜畑より田んぼの面積がずいぶん多いなあと思っていたが、自分の家で消費するお米を作るためにどのくらいの田んぼが必要かということを、こうして自分の目で確かめてみると、納得することができた。
田植えの終了後、“ご褒美”に桑の実を食べさせてもらった。どこかで食べたような気がするが、桑の木から直接もぎ取って口に入れたのは、生まれて初めての体験だった。
夕刻、北房(ほくぼう)町のホタル祭りに行く。北房町は、少し前に、前町長が職員の縁故採用がらみの金銭授受で逮捕されイメージを悪くしたが、ホタルの名所としては県内随一ではないかと思う。
先日、道路の一部が陥没して手抜き工事が噂されている中国横断道(岡山自動車道)をこわごわ通って、約1時間で会場へ。ここは数年前にも訪れたことがある。会場周辺はだいぶ整備されていたが、お祭り自体は、数年前と一緒で、あまり創意工夫が見られないカラオケ大会と、露店業者主体のお店が並び、遠方から観光客を招くというよりは、地元に里帰りする若者たちを歓迎するお祭りといった感じがする。今年は、なぜかホタルバスが出なかった(パンフレットには、出ると書かれたあったのだが)。
会場のすぐ近くには諏訪洞という鍾乳洞がある。数年前に息子と近所の男の子を連れて、ヘルメットにレインコートの完全装備で探検を試みたことがあったが、橋が朽ち果てていてとうてい子供連れで入るところではないと判断し、引き返したことがあった(この時には、代わりに羅生門の鍾乳洞を最奥部まで探検した)。今回、訪れてみると、入り口から数十メートルの所まで、橋と照明が整備されていて、とりあえず鍾乳洞の雰囲気が味わえるようになっていた。
ところが私たち家族が最奥部まで入っていた時、とつぜん照明が切られ、暗闇に取り残されるというアクシデントがあった。この鍾乳洞は入洞者が自分で入り口の照明をつけ、退出時に電源を切るというセルフサービスになっている。いたずらか不注意かわからないが、誰かが、このスイッチを切ってしまったらしい。おかげで10分ほど、真っ暗闇の中に取り残されてしまった。中学時代から洞窟探検を趣味としていた私自身は別段恐怖を感じることはなかったが、子供たちは、だいぶビビったそうだ。やはり洞窟に入る以上は、どんな観光用洞窟であっても、万が一に備えて懐中電灯を携行する必要がある。よい教訓になった。
洞窟から出ると外はもう、足元がやっと見える程度に暗くなっていた。しばらく土手のコンクリートの所に座っていると、草の影からホタルの光が見えてきた。そのうち、至る所で光りだし、乱舞するようになった。手のひらに乗せてもあまりいやがらない。さすが、北房のホタルは数が多い。それと、生息場所がかなり広範囲にわたっているので、足守(岡山市内のホタルの名所)のように川岸に人垣ができるほどは混雑していない。交通規制をやっていない土曜日に来ても、渋滞などで困ることはなさそうだ。
祭りの際に多少気になったのは、ホタルを見に来ているはずなのに、川に向かってロケット花火を打ち上げたり、強力な懐中電灯で照らしたり、ストロボをたく人たちがいたこと。それからのホタルを捕まえてビニール袋に詰め込んでいた人がいた。どこでもそうだが、自分の行動がどういう結果を招くのか、周囲にどういう影響を与えるのか、ご存じない人がいるのは困ったことだ。
ホタル公園からの帰り道は、公園付近ではさすがに渋滞に巻き込まれたが、北房から岡山までが高速道路経由で40分、そこからアパートまで10分で帰り着いた。やはり高速道路は便利なものだ。
写真は、岡山大学の農場にあるカボチャ。初めのところで、田んぼの収穫量のことを書いたが、たぶんカボチャのほうが、手間がかからず、お米より収量が多いように思う。このカボチャは、収穫後、農場の売店で、1個100円〜300円ぐらいで売ってくれるので、周辺住民にとっては大助かりだ。
1997年6月13日(金)
朝から会議が2つあり、くたびれた。アパートまで歩いて帰って食事するほどの元気がないので、久しぶりに生協食堂で昼食。そのあと、カメラを首に下げて、大学構内の花の写真を撮る。実験室の前の花壇は、今年は忙しいこともあって、雑草と園芸植物が混在した状態になっている。ただ、こういう環境は、昆虫にはかえって適しているようだ。アブラムシが増えればテントウムシが増える。バッタが増えればカマキリが増える。自然の生態系を観察するには、またとない場所だ。
夜、妻からウェスト・ポーチをもらった。オジンくさいと見られそうだが、どうせオジンだからかまわない。それに私は徹底的合理主義者だから、生活上便利なものは、周囲の目を憚らずに身につける。で、このプレゼントは、父の日のプレゼントだと思っていたら、結婚記念日のプレゼントだそうだ。ところが、ここで問題が起こった。私は、6月18日に結婚式を挙げたと記憶しているのだが、妻は17日だと言う。そこで、押入から古いアルバムを引っぱり出してきて確認するが、肝心の日付が書いていない。婚姻届を出したのは7月になってからで、結婚式の日付ではないから、戸籍謄本を調べてもわからない。結局、どちらが正しいのか、いまだに謎である。
引っぱり出したアルバムを押入に戻していたら、アイロンが足の上に落ちてきた。幸いかすり傷で済んだが、そう言えば今日は13日の金曜日、夜の10時になって、とうとう悪いことが起こってしまった。
写真は、結婚式翌日の写真。妻の顔写真の掲載許可が出ないので、例によってマスクしてある。先日、国営備北丘陵公園で木工体験をする時、妻は申込書に年齢28歳と記入していた。もしこれが本当だとすると、結婚したのは確か14年前だったので、私は14歳の中学生と結婚したことになってしまう。
1997年6月12日(木)
朝は、この時期には珍しい濃霧。その後よく晴れた。昼休みに外を歩いて気づいたのは、自分の影が短くなっているということ。北向きに歩くと、踏み出した足が、ちょうど自分の頭の影のあたりを踏む。夏至が近いことを実感した。
事務室の私宛のレターBOXに、給与明細書が入っていた。今月は、袋の中に住民税の特別徴収通知書というのが入っていた。これが、私から見れば莫大な額になっている。うっかり額を言ってしまうと、総収入がバレてしまうのでおおざっぱな表現にとどめるが、共済組合と所得税と住民税を合わせると、ざっと給与の2割以上が差し引かれている。介護法が成立すると、この比率は3割、4割と増えていくのだろう。このところボーナスで高額のものを買った記憶がまったくない。私の家は、毎月給与だけでは赤字なのでボーナスでこれを補てんしているが、12月と3月のボーナスの残額も底をつき、6月下旬までは郵便貯金の残高のマイナス表示(定額貯金を担保にした自動融資)の状態が続く。
写真は、アパートの入り口に飾ったグロキシニア。以前、研究室の窓際に置いていたものを、ここに移動した。
1997年6月11日(水)
大学の農場の田んぼで田植えをしていたので、昼食の帰りに、大学周辺の田んぼの様子を見てきた。まだ水は張っていなかったが、何よりも驚いたのは、去年、カブトエビやホウネンエビが見られた田んぼが消滅し、売地になっていたことだ。このあたりはすでに宅地化が進んでいて、もともと水田は住宅の間に点在しているにすぎない。そういう中で、目立たないとはいえ、水田の生き物が棲息できる場所が、確実に減っていることを実感した。
写真は、ゴデチュア。イロマツヨイグサとも言う。確かに、花を黄色く染めたらマツヨイグサそっくりだ。春に1ケース480円で買ったものを植えた。30-50ポットぐらいあったと思う。一時期つぼみにアブラムシが大量についたが、放っておいたら、テントウムシのおかげでいつの間にか姿を消した。
1997年6月10日(火)
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大学の農場の田んぼには水がはられていた。いよいよ田植えの季節がやってきた。今年の梅雨は、雨はちゃんと降るだろうか? 昼前の民放のニュースで、富士五湖が異常な渇水状態にあることを報じていた。これは、梅雨時以外の雨量の少なさも影響しているようだが、3年も渇水が続くとは、ちょっと普通ではない。
都市の住民にとっては水不足がいちばん困る。食物は輸入すればいいので、干ばつよりは長雨をと考えている人もいるかもかもしれない。
しかし、むしろ本当に心配なのは、冷夏や長雨である。気象庁は10日、「エルニーニョ現象が始まっている可能性が高い」と発表している。昔から、「干ばつには飢饉なし」という言い伝えがある。これは、日本のような気候では、干ばつになっても、どこかで水が確保されて稲が育つこと、稲が枯れても乾燥に強い代わりの作物が必ず育つということを意味しているのだろう。これに対して、冷夏や長雨は、何も得るところがない。干ばつは困るが、夏は暑くないと、もっと大変なことになる。
写真は、私のアパートの花壇。花壇とは言っても、正式の設備ではない。昨年秋に、住人の有志が建物のすぐ北側の空き地に勝手に作ったものにすぎない。
以前に住んでいた長崎の公務員宿舎には、アパートの中庭に各戸専用の花壇が割り当てられていたが、ここは、中庭も駐車場になっていて、住人は花や野菜を育てることができない。これからの住宅環境を考えると、アスファルトで固められた中庭ではなく、やはり住人が日常的に園芸や家庭菜園を楽しめるような中庭を用意し、自然とのふれあいを保証することが大切ではないかと思う。
1997年6月9日(月)
8日に梅雨入り宣言が出され、それに合わせるように朝から雨が降っていたが、昼過ぎからは曇りとなった。梅雨というと、湿度が高く蒸し暑い毎日で嫌だという人がいる。しかし、前線が南にあって北の高気圧に覆われている時は、朝晩はけっこう涼しく、能率が上がるものだ。私は梅雨はあまり嫌ではない。
写真はロベリア。秋に種を蒔いて冬越しをさせると5月中旬から、小さい花がこんもりと咲く。霜に弱いため、露地植えは、まず無理。鉢植えにして、南向きの日当たりのよいベランダなどで冬を越させる。暑さにも弱いので、花が終わったら北向きの日陰で乾燥気味の露地に植えておくと、何とか夏越しできる。夏越しできた株を鉢に戻せば、翌年5月にもういちど花を楽しめる。
1997年6月8日(日)
午前中は、研究室で仕事&日記読み。午後は、家族全員で、大学の草地で野球など。野球といっても、大して上手ではないが、バットで思い切り打てる広場があるのは有り難いことだ。私は東京の世田谷区若林というところで育ったが、さて、野球をしようと思ったところで、当時からすでにキャッチボールをする空き地すら見あたらなかった。ひらけた所と言えば、歩いて20分ほどの所に、羽根木公園というススキの原っぱの丘があった。ところが、昨年秋に30数年ぶりに訪れたところ、何と森林公園のようにこんもりと木が茂っていて、これが同じ場所だとは信じられなかった。浦島太郎のように唖然とした。
夜、子どもたちにビデオの『メリーポピンズ』を見せた。字幕スーパーだが、ストーリーは子供にもよく分かったと思う。洋画と言えば、数年前に子供たちに『小さな恋のメロディ』を見せたことがあるが、あれは失敗だった。最後の部分で、人力トロッコのようなものに乗って2人が空想の世界に旅立つシーンがある。あのシーンについて、映画が終わってから「どこに行くのかなあ」と尋ねたところ、子どもたちは、「さあ、おうちへ帰るんじゃないの」と答えた。これは、あかんと思った。もういちど見せたいけれど、何歳ぐらいになったらよいのだろうか。
写真は、オダマキ(白)とラベンダー(青)。ラベンダーのほうは、確か3年目ぐらいの株になる。西日が当たらず、乾燥気味の所なので、長持ちしている。オダマキも、同じ場所で、4-5年目になるかと思う。種が適当にこぼれて株が更新されている。じぶん更新日記に、オダマキの話を書いておいた。
1997年6月7日(土)
土曜・日曜はネットが空いているので、毎週、1時間ほど、ネットサーフィンを楽しむことにしている。今週は、大阪大学のノードが停止するために、学外とは繋がらないと予告されていたが、少なくとも昼前後には、ネットは切れていなかった。
そんな中で、6月以降のHB彗星の写真を見た。この彗星は、すでに過去の出来事になってしまったが、ちむらさんの日記に、南半球から彗星の写真が送られていると紹介されていた。さっそくNASAのJPLページを見る。オーストラリアやニュージーランドで撮影された6月以降の画像が何枚か掲示されていて、たいへん懐かしく感じた。
夕方は、大学構内の草地で、息子と野球をする。草地の横の花壇には、ニゲラがたくさん生えているが、開花から2週間たったところで、花はすっかり終わり、独特の鞘ばかりになった。これはこれで、趣のある景色だ。
6月の土曜日というと、たいがいどこかでホタル祭りをやっている。毎年、足守地区に行っていたが、妻が調べたら、今年のホタル祭りは、すでに先週終わっていたそうだ。きょうは矢掛町でやっていると聞いたが、わざわざ行くほどの元気も出なかった。来週、北房町に行こうかどうしようか、迷っている。
ところで、ホタルは毎晩出てくるのに、なぜホタル祭りのような賑やかな時に行こうとするのか、疑問に思われるかもしれない。もちろん、人混みを避けて、静かにホタルを眺めることができればそれに越したことはないのだ。ただ、土日の夜に限れば、ホタルの名所(たいがい人工的に養殖している)には、この時期には、たくさんの車が押しかける(うちの車も、その一台)。ホタル祭り当日であれば、ちゃんと交通規制をしているのでのんびり楽しめるが、それ以外の土日は、大渋滞のうえにヘッドライトでろくにホタルさえ見えない、ということがある。一昨年だったか、ホタル祭り以外の土曜日に足守地区に行ったことがあるが、川沿いには車が縦列駐車していて大渋滞し、とてものんびり楽しめるような状況ではなかった。岡山近辺でホタルの穴場をご存じの方がおられれば、長谷川まで、こっそり教えていただければ幸いです(教えていただいた場所は、他言しませんので)。
写真は、セイヨウノコギリソウ(赤花)。大学構内では、白花は雑草化している。白以外には、赤、ピンク、クリーム色、オレンジ色などがある。黄色のものは、葉の形が少し違う。“キバナノコギリソウ”という近縁種に分類されているらしい。
1997年6月6日(金)
朝方は、真っ黒な雲に覆われ、雷雨。但し、暗いわりには大した雨にはならなかった。昼過ぎからは晴れ。ふつう、午前中に晴れていて午後から夕立というパターンはよくあるが、今日の天気は、午前と午後が入れ替わったような、妙な天気だった。
写真は、ビスカリア(コムギセンノウ)。園芸植物の図鑑によれば、これは旧属名に由来するらしい。英語名は、rose of Heaven。これを直訳すれば“天国の薔薇”となる。ものすごい名前だなあと思って、念のためランダムハウス英和辞典で確認したが、間違いなかった。丈夫で、放っておいてもドンドン増える。
1997年6月5日(木)
日中は、よく晴れた。昼に大学構内を流れる用水(旭川からの農業用水である座主川から、さらに一定の水を取り入れて福居地区に向かう小さな川)には、いつの間にか、水が流れていた。この用水は田植えシーズンから夏の終わりまでに限って常時水を流しているが、秋から春にかけては、ほとんど空になる。夏になると、ここにいろいろな水中生物が棲みつく。特に気に入っているのは、スジエビで、毎年、網ですくって、研究室の窓際にある水槽で飼っている。昨年の秋に採ったエビのうち1匹だけが、まだ生きているが、これが実にすばしこい。水槽に餌を入れてやると、急に活発に動き回り、餌の粒を的確に捉えて口に運ぶ。今年も秋口の用水の水抜きの頃に、救出を兼ねて(水を抜かれると、逃げ遅れた魚やエビは皆干上がってしまうので)、水槽で飼ってみたいと思っている。
写真の中央下のグロキシニアの花の裏側の水槽でスジエビを飼育。右側の大きい水槽には、ドジョウ2匹、フナ1匹、メダカ約10匹がいる。いずれも近くの田んぼから採ってきたもの。中央上部の金魚鉢には、ミジンコ類がいる。ええと、ここは観葉植物園ではなくて、私の研究室の窓際です。
1997年6月4日(水)
きょうも、梅雨空模様で、朝から午後にかけて雨が降った。多少涼しかったおかげて、仕事の能率があがった。
このところ、私の家では、水曜日の夜は“コロンブスのゆで卵”を視るようになっている。きょうの番組では、靴ひも自動結び機と、人工衛星の半田付けを担当している人の話が面白かった。どちらも、手作業で機械を作る。それに、完成する喜びが直接随伴するという点で、やりがいのある仕事だろう。ただ、前者の靴ひも自動結び機は、機械を作る過程は手作業であるが、完成した機械は、紐を結ぶという行動を人間から奪ってしまう。皮肉なことだ。
写真は、ニゲラ(クロタネソウ)。いずれも、タキイのカラーコーディネータの白、ピンク、青の袋に、それぞれ種が入っており、勝手に増えたものである。未成熟の種のさやがドライフラワーとして利用できるので人気がある。
1997年6月3日(火)
晴れ間もあるが、曇りがちでパッとしない天気だった。ルドベキアとハルシャギクの花が咲き出した。ビワの実が、ここ数日で、黄色に熟し始めた。いくつかもぎ取って実験用に飼育しているハムスターに与えてみたが、生まれて初めての味で、とまどっていた様子。
夕刻、写真屋から5月25日以後のプリントを受け取る。ここに掲げたのは、5月25日夕刻に見られた虹の写真。あの時には全部で14枚も撮ってしまった。土日に、その中からスキャナで5枚ほど読み込んで虹特集のアルバムを作りたいと思っている。
1997年6月2日(月)
四国では梅雨入り宣言。朝方は、ツバメが地面スレスレに飛んでいたので、言い伝え通りに雨になるのかと思ったが、午後からは快晴に近い状態になった。今日から実質6月入り。いろいろ締め切りに追われながら、ちっとも仕事が進まない。このHPでも紹介している、スキナー以後の行動分析学(6):行動随伴性に基づく自己理解(1)』の校正、午後は演習の授業、そのあと、火曜日の短大での授業の小テスト問題作りで、1日が終わってしまった。
忙しい月だが、自然とのふれあいは大切にしていきたいと思っている。毎年6月の行事といえば、ホタル祭り見物、潮干狩り、田植え体験。これだけで週末3回分が決定だ。スケジュールどおりの生活は、あまり好まないが、いま述べた3つの体験をしないと、心残りになりそうな気もする。
写真は、テンニンギク。昨年、このHPを作り始めた頃にも、岡大構内の花の写真を掲載した。その後、更新をサボっているが、ここにまだ残骸がある。いつになったら整備できるやら。
1997年6月1日(日)
天気は最高だったが、昨日の運動会疲れのため、遠出はせず。私は、朝から、研究室に籠もる。昼前、息子が床屋からの帰りに立ち寄ったので、キャッチボールなどで遊ぶ。
昼に、フジノンから、プレゼントの双眼鏡が送られてきた。HB彗星関連特集に応募していたものだが、まさか、こんな高額なものが当選するとは思わなかった。まあ、わがままを言えば、せめて彗星が西空にあるうちに送ってもらいたかった。しかし、この双眼鏡は性能がいい。これを機会に、野鳥の観察でも始めることにしようか。
夕刻、レスパール藤ヶ鳴へ。道路沿いの花壇の花が美しかったが、よく見ると、オオキンケイギク、テンニンギク、ハルシャギク、ナデシコなど。大学構内に勝手に咲いている花とちっとも変わらない。丈夫な花で手のかからない園芸植物の混植が流行っているようだ。
ここの温泉を気に入っている理由は、まず、温水プールがあって、(男女別でないため)家族で一緒に楽しめること、空港を見渡せる高台にあって眺めがよいこと、もう一つ、塩サウナ(全身に塩をまぶして入るサウナ)があることだ。サウナといえば、学生時代に京都で下宿していたころ、自転車に乗ってサウナ付きの公衆浴場まで通ったことが想い出される。特に、北区に下宿していたころは、周辺の大徳寺近くの紫野温泉や船岡山入り口にある船岡温泉のサウナがよかった。今はどうなっているだろうか。
19時には帰る予定であったが、休憩室の3台のテレビが、それぞれ面白い番組(さんまのスーパーからくりTV、クイズ日本人の質問、投稿!特ホウ王国2)をやっていて、家族がみな夢中になり、結局19時50分すぎまでのんびりする。特ホウ王国で紹介していた雲の写真(直線状の雲が何列も並んでいる映像)は、なかなか興味深いものだった。また、からくりTVで、街角で“あなたの誇り”を英語で説明させるコーナーがあった。娯楽番組ではあるが、登場人物のあまりにもヘタな英会話表現に、英語教育の改善の必要性を痛切に感じた。
バイパス入り口の“餃子の王将”で夕食。先ほどサウナ付公衆浴場のことを書いたが、この“王将”という店も、学生時代に京都でよく利用していた店である。“餃子試食券”や半額券を大量に手に入れて、食費を節約したものである。京都では、王将というと学生向けというイメージが強かったが、岡山の店では、客の半分は家族連れだ。
写真は、アンチューサ(5月23日撮影)。これほど青の美しい花はめったにない。ただ、花が小さく、地味なせいか、種苗会社のカタログにはめったに掲載されない。どこかの花壇で群稙しているのを見かけたような記憶があるが、定かではない。