じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
【思ったこと】 130215(金)NHK朝ドラ「純と愛」で出現した「純愛熱中症」と「アンチ純愛症候群」(12)一部の人たちが批判・攻撃的な書き込みを続ける理由(2) 昨日の日記で、批判・攻撃的な書き込みを続ける原因をいくつか挙げた。但しそれらはあくまで仮説にすぎない。それらとは異なる理由もありうるし、いくつか挙げた要因が複合して、スパイラル型に増殖している場合もありうる。 それはそれとして、批判・攻撃的な書き込みを続けることがよい影響をもたらすとは思われない。余計なお節介であることを承知の上で言わせて貰えば、 ●同じエネルギーを注ぐのであれば、何かを誉めたり、あるいは、批判をする場合でも「こういうシナリオに書き換えればもっと面白くなるだろう」といった建設的な提案をすることのほうがポジティブな生き方につながるのではないか。 と思う。その理由はいくつかある。 第一に、非難の発言を続けても、自己の発展向上には何の役にも立たないからである。少なくとも、自分自身の抱えている問題を回避するために(注意をそらすために)他者への攻撃を続けているような人は、もっと正面から問題を直視し、その解決に取り組むべきである。昨日の日記でも述べたように、「攻撃をすれば自分自身の抱えている問題に注意が向かなくなり、ストレス解消になる」という効果があるかもしれないが、それはあくまで対症療法的な効果であって、本質的な解決を先延ばししているにすぎない。 第二に、嫌悪感情の吐露、単なる苦情、揚げ足取りといったレベルの書き込みを続けていると、その人の創造性が失われてしまう恐れがあるからである。自分の好きなドラマに注意を向けて、こういうところが良い、こういうところに感動した、といった感想を述べるのであれば、良いこと探しの目が肥えてきて自分の人生にも役立つ何らかのヒントが見つかるかもしれないが、全否定や排除の姿勢で否定的感想を並べている限りは何の発展も期待できない。そのうちに、自分の人生まで欠点ばかりが目につくようになるかもしれない。少なくとも、このドラマを批判するのであれば、「こういうシナリオに書き換えればもっと面白くなるだろう」といった建設的な提案をしたほうがよい。 第三に、他者への批判・攻撃行為は、当然のことながら、攻撃対象となった人に不快感を与える。ドラマの感想掲示板に「このドラマは不快だ」と執拗に書き込むことは、そのドラマを楽しんでいる人たちを少なからず不快にさせる。自分自身も不快の原因になっているという自己矛盾に陥ってしまうのである。そう言えば、このドラマの主人公、純に対して、
次回に続く。 |