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このところ明け方に晴れることが多く、2月14日から22日までの9日間のうち2月18日以外の8回、月の写真を撮影することができた。空が比較的明るいのでコンデジでも月の輪郭がはっきり撮れる【空が暗い時は月が明るすぎて輪郭がぼやけてしまう】。 なお月齢は、2月14日が15.4、2月22日は23.4となっている。【満月は2月12日、下限は2月21日】。 |
【連載】最近視聴したYouTube動画(8)岡田斗司夫さんの動画をもとに宗教について考察する(6)死とは何か? 昨日に続いて、最近視聴したYouTube動画の感想・考察。引き続き、岡田斗司夫さんの動画をネタに宗教についての考察を進める。 本日は、昨日からのつながりで「死後の世界」について考察する予定であったが、その前に「死ぬとはどういうことか?」をはっきりさせておく必要がある。岡田さんの関連する動画は以下の通り。但し切り抜きの形で多数配信されており、すべては把握できていない【準不同、適宜追加の予定】。
本日は上掲の動画のうち、1.の中から私にとって参考になったご発言を抜き出させていただく【要約・改変あり】。
ここまでのところでいったん私の考えを述べさせていただくが、死というのは
上掲の「死ぬとこれまで貯めたコインが全部無くなって損した」とか、「これだけやっておきたかったなっていう、すごいくだらないエゴイスティックな最後のほんのちょっとしたものが残る」といった感覚は、私も大いに共感できる。もっとも厳密に言うと、これはまだ死ぬ前、まだ意識がしっかりしている時に感じるかもしれないことであって、死んでしまった瞬間は、定義上何も考えないし何も感じることはない。なので、死ぬ直前にジタバタしないためにも、日頃からちゃんと気持ちを整理し、自分の代わりを務めてくれる人がいればちゃんとお願いし、不要な物品があれば廃棄する、というように「思い残すことが無い」ように終活をしておく必要があるように思う。 ところで岡田さんは、 ●貯めたものが無くなって損をする感じと、溜めていた自分に対する負債が無くなる解放感ど両方あるので、ちょうどプラマイがゼロになる感じがする。残るのは「これだけやっておきたかったな」っていう、すごいくだらないエゴイスティックな最後のほんのちょっとしたもの、たぶん本当につまんないことだと思うけれどそれだけがお釣りのようなものとして残る。、 と喩えておられたが、うーむ、貯金が100万円で借金も100万円であるなら一次元世界の足し算・引き算なのでプラマイゼロにできるだろうが、人生における経験の蓄積と自分に対する負債はもっと多次元であり、例えば豪華な食材と粗大ゴミの両方をどうにかしようと思ってもそれぞれ別々に対処する必要がありプラマイゼロにはできない。そういう差し引きではなく、「プラス」の部分も「マイナス」の部分もそれぞれ独立してゼロになるまで薄めていく必要があるのではないかと思う。 私自身は「死は怖い」とはあまり思わないが、死の間際の苦しみはできるだけ避けたいと思っている。おそらく一番楽な死に方は、寝ているうちに隕石が落下して即死になることかと思う。人為的な手段としてはギロチンで瞬時に首を切り落とされることかと思う。もっとも2022年8月10日の日記で言及したように、ギロチンで切り離された頭部でもしばらくは意識が保持される可能性があるらしい。これらに対して、病気で死ぬ人は、程度の差こそあれ、長時間苦しむことになる。最近では緩和ケアの技術が進歩しているのでそれほどでもないかもしれないが。なお老衰で死ぬことが最善と言われることもあるが、こちらの記事に「元気でいて急に衰えるわけではなく、死のかなり前から全身が衰え、不如意と不自由と惨めさに、長い間、耐えたあとでようやく楽になれるのです。」と記されているように、それなりに苦しみがあるようだ。 死に至るプロセスが苦痛を伴うのは、生物の宿命とも言える。この日記に何度も書いているように、生きることより死ぬことのほうが快楽であるような生物が地球上に出現したとしても、さっさと消滅してしまう。死は苦痛であり苦痛から逃れるように最大限に頑張るというように進化した以上、少なくとも哺乳類では、死の苦痛を消し去ることは原理的に不可能と言える。 不定期ながら次回に続く。 |