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【小さな話題】ケンボー先生と山田先生〜辞書に人生を捧げた二人の男〜(7)現代語の収集 少し間が空いてしまったが、8月27日の続き。8月16日にNHK-BSで再放送された表記の番組のメモと感想。 前回の日記では昭和30年代、『明国』(明解国語辞典)の更なる改訂版に向けて関係者が喫茶店の個室で研究会を重ねていたという話題を取り上げた。会議は見坊豪紀が中心に進められており山田忠雄も加わっていたが、当時の関係者の証言によれば、山田は独自の主張に固執したり、挨拶もせずに帰ったりすることがあったという。 ということで1960年には、見坊を中心とした編者たちは新たな辞書として『三国』(三省堂国語辞典)を出版した。『三国』は中学生の利用を想定していた。当時は中学生の数が最多だったため、『明国』の売り上げは落ちず、そのいっぽうで『三国』も業績を伸ばすという状況にあった。 見坊は『明国』と『三国』の両方の編纂を手がけていたが、『三国』については以下のように特徴づけていた。 ●『三省堂国語辞典』は徹底的に現代に即した辞書であることをめざしております(見坊豪紀著『ことば さまざまな出会い』)。 『三国』が現代語を多く採用した一例として『ウルトラマン』(第四版)や『怪獣』(第二版、『怪獣ゴジラ』や『怪獣ママゴン』の用例を含む)が載せられていることが紹介された。また『三国』第四版には、 ●ワードハンティング:ことばさがし。ことば集め。用例採集。「―五十年」 という、見坊の辞書作りの姿勢を物語る「ワードハンティング」が載せられていた。 また八王子市の三省堂資料室には見坊豪紀が50年かけて集めた145万例にも及ぶ膨大な数の用例カードが保管されているという。見坊は新聞、雑誌、漫画、広告などあらゆる媒体に目を通し、出典の一部を証拠として残した。見坊が膨大な用例を集めた理由について田中三雄さん(元三省堂社員、『三国』担当)は見坊が以下のように語ったと証言している。 ●ただ集めているんじゃない。現代語と言えるか判定するためにたくさんの用例が必要なんだ。 また見坊自身も『日本語とわたし』という講演の中で、 ●ことばは音もなく変わっている。丹念に気をつけて調べていると初めてそのことがわかる。だから実際にその用例・実例を探しながら一歩一歩飛躍をしないで考えていくことが大切 と語っている。見坊は膨大なデータと客観的な証拠を基に、世の中で使われていることばを辞書に反映しようとした。 以上の見坊の姿勢は家庭内にも影響を及ぼしており、長男、次男、長女が集まった時の回想によれば、見坊はあれだけ新聞を読んだりしているのに世間知らず。長女からは、見坊はある時、正体不明の人を家の中に通したが、その人は新聞の勧誘員であったことが分かったといったエピソードが語られていた。 ここからは私の感想・考察を述べる。 まず当時の「現代語」であった『ウルトラマン』、『怪獣』がどうなったのか調べてみると、
昭和40年代(1960〜1970年代)の言葉です。となっており、『三国』の用例からはいずれ姿を消すことになりそうだ。 いっぽう、『ウルトラマン』のほうは今なお影響力を及ぼしているように思う。ウルトラマンは昭和41年(1966)から放送された特撮テレビ番組であったが、1990年〜1995年頃、私の息子もハマっていていろいろな種類のウルトラマンの特徴を知っていた。但し孫の世代は私の知る限りでは無関心のようだ。 見坊豪紀の膨大な数のワードハンティングには恐れ入るが、見坊さんが50年かけて収集されたデータは今ではAIで短時間に集められるようになってしまった。もっとも、そもそも「現代語」といっても、どこでどういう文脈で使われているのかは異なる。新聞には全く登場しないがSNS上だけで使われる言葉もあれば、特定組織や地域の中で通用する言葉もある。いくら数を増やしても限界があるし、100%収集したと思った時にはすでに死語になっていたり、新たな言葉が出現していたりしてキリが無い。もはや印刷媒体の辞書で現代語を把握するのは困難。じっさい私も、ウィキペディアとChatGPTが使えればそれで不自由していない。 次回に続く。 |