じぶん更新日記

1997年5月6日開設
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 5月18日(土)は、午前、午後、夕方の3回に分けて、動物実験棟周辺の剪定作業を行った。伸びすぎていたミモザの枝を中心に、ハナモモ、ビワ、オリーブなどをバッサリ。重労働のおかげでその日の体重は1kg以上減少してしめしめと思ったが、翌日の夜には元のレベルに戻ってしまった。


2013年05月19日(日)

【思ったこと】
130519(日)映画「丹下左膳」がもたらす「タイムマシン効果」

 少し前に放送された、

映画 丹下左膳(1958年)

を録画再生で視た。

 「丹下左膳」という片眼のサムライのことは、メンコの図柄で子どもの頃から知っていたが、これまで一度も作品にふれたことがなく、そもそも悪人なのか善人なのか、どういう時代の人物として描かれていたのか、全く知らなかった。興味を持ったのは、昨年、6月11月、二度にわたり大河内山荘庭園を訪れたことによる。ウィキペディアにも、
刀の鍔を口元に持ってきて見得を切る「丹下左膳」のキャラクターは大河内のシンボルとなり、生涯を通してこの「丹下左膳」の題名を持つ主演映画は17本を数えるに到った。

トーキー時代に入ると、少し訛りのある大河内の「シェイはタンゲ、ナはシャゼン」(姓は丹下、名は左膳)という決めセリフが一世を風靡、後代まで多くの人々が物真似にする名文句になった。
という記載がある。

 もっとも、今回視た映画では、丹下左膳役は大友柳太朗であり、大河内は大岡越前守の隠密、蒲生泰軒を演じていた。それはそれとして、この映画には、大川橋蔵や美空ひばりといった豪華キャストが顔を揃えており、若かりし頃の活躍ぶりを拝見することができた。

 ストーリーそのものはありふれた時代劇物のパターンであったが、デジタルリマスターの技術の成果だろうか、(こういう比較が妥当かどうか分からないが)東京の街並みをミニチュアとVFX(CG)で再現した作品として人気を得た映画「ALWAYS 三丁目の夕日」やその続編と遜色ないレベルの映像に仕上がっているように見えた。

 これまで、昔の映画というと、オリジナルのフィルムにあったはずのキズや色あせがあるだけでいかにも古めかしいという感じがした。また、例えば、男はつらいよでは、街の風景や家具などから、何十年も前の映画であるということが見て取れた。

 ところが、「丹下左膳」ともなると、描かれている風景はとうぜん江戸時代である。となると、最近作られた時代劇と全く変わらない風景となる。キズや色あせがデジタルリマスター技術で相当程度改善されると、残る手がかりは、キャストのみとなる。私のように俳優さんのお名前やお顔を殆ど存じ上げていない者から見れば、それがいつ作られた映画であるのかは殆ど区別がつかなくなる。今回はまだまだハイビジョン画質には至らないレベルだが、いま現在記録されている種々の映画やドラマ、ニュース、スポーツ記録画像などはそのまま残り、10年後に見ても、それが10年前のものなのか最近のものなのか、画像を見ただけでは判別がつかなくなるにちがいない。

 元の話題に戻るが、この映画の主要なキャストは、「ちょび安」を演じた松島トモ子さん以外は、全員お亡くなりになっているようだ。念のため、ネットで調べたところ、  ここで、「タイムマシン効果」と書いたのは、徳川吉宗や大岡越前守が登場する江戸時代にタイムスリップしたような気分になるということでは決して無い。そうではなくて、この映画が作られた1958年当時にタイムスリップし、当時の人たち(ちなみに私自身は6歳であった)と一緒になって、キズや色あせの無い「丹下左膳」の映画を一緒に鑑賞しているような気分になるという意味なのである。

 そのさい、1958年当時の人たちは、55年後にどういう世の中になっているのかは何も知らない。しかし、いまここにいる私は、55年後の世の中がどうなっているのか、俳優さんたちがその後どういう活躍をされ、何歳でお亡くなりになったのかということを知っている。1958年当時の観客を前にして、例えば、大河内傳次郎さんは4年後にお亡くなりになりますとか、長谷川裕見子さんは、美空ひばりさんより13歳年上だが、ひばりさんよりは21年も長く生きられ、主要キャストの中では(ご存命の松島トモ子さんを除いて)一番最後まで長生きされますよ、と「予言」することさえできるのであるから不思議なものである。