じぶん更新日記

1997年5月6日開設
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 岡大珍八景「水田のパラレルワールド」の夕日
 昨日に続いて、農学部農場の水田の写真。昨日同様、パラレルワールドが上になるように写真の上下を逆さにしてある。



2013年06月8日(土)

【思ったこと】
130608(土)世界禁煙週間(4)なぜ喫煙者を攻撃的に非難するのか

 5月3日に執筆を開始した岡大敷地内喫煙ゼロをめざす安全衛生委員活動日誌では、
  • 5月31日は世界禁煙デーであったが、岡大構内では各所で、吸い殻ポイ捨てが見られた。これらの場所はそもそも指定喫煙場所ではなく喫煙は禁止されている。禁煙エリアでも人に見つからなければこっそり吸ってしまうという行為は、警察に見つからなければモノを盗んでもいいというコソ泥と同罪だ。加えて、喫煙のあとに吸い殻をポイ捨てするような者は、大学人として、というか人間として失格である。【6月1日】
  • 大学の決定を無視してここで喫煙すること自体問題であるが、加えて、空き箱をそのまま放置するような自己中心的でだらしない人間はもはや、大学人、というか人間として失格であると言わざるを得ない。【5月29日】
というように、吸い殻ポイ捨て者を攻撃的に非難し人格を否定するような表現を敢えて使っている。また、「講義棟周辺を巡回したが、喫煙者は誰もおらず、まことに喜ばしい昼休みとなった。」というような表現も、「部屋の中のゴキブリを駆除しているが、本日はゴキブリが1匹も出現せず、まことに喜ばしい一日であった。」と似たような表現であり、喫煙者がゴキブリであるとは言っていないものの、「喫煙者が見当たらないことは、室内にゴキブリが出ないのと同じように喜ばしいことである」と表現している点では、実質的にはゴキブリ扱いしているようなものである。

 こうした表現は、行動分析学的には正しくないとされている。行動分析学では、
  • 問題行動の原因は行動随伴性にある。その人自身の人格や性格に行動の原因を帰属させてはならない。よって、その人の否定することは言語道断。
  • 問題行動を罰的に弱化しても、望ましい行動は何も生まれない。
ということが大原則になっていると思うが、ここでは敢えて、「コソ泥同然」、「大学人として失格、というか人間失格」というような表現を使い続けている。また、喫煙行為に対しては、できるだけ大きな声で周りに聞こえるように注意を促すように心がけている。

 その一番の理由は、そういう形で、攻撃的に非難すること、さらには、「こんなところでタバコをする人なんて嫌いっ!」、「あの先生は立派な先生だと思っていたが、こんなところに吸い殻を捨てるなんて、見損なったわ」、というように、社会的な嫌子を付加することこそが、キャンパス内での喫煙行動を弱化する上で最も有効と考えるからである。

 「タバコをやめますか、それとも生きるのをやめますか」というようなスローガンが貼られていたとしても、それを見ただけで喫煙者がタバコを止めることはまずありえない。なぜならば、「タバコをやめなかったら死ぬ」とか言われても、吸ったとたんに突然死するわけではない。何十年か経ったのちに、肺がんにかかるか、その他の死亡リスクの確率を高めるだけであって、弱化の随伴性の必要条件となるような、「行動の直後の、目に見える結果」は伴っていないのである。

 「タバコをやめますか? それとも人間やめますか?」(こちらこちらに同一スローガンあり)は、そういう点では、「生きるのをやめますか?」よりは、より効果的であろう。しかしその場合も、「タバコを続けていたら人間をやめることになる」という具体的な結果が直ちに随伴しなければならない。そういう意味では、喫煙行動の直後に周囲の人間が攻撃的に「人間失格だ」と非難することこそが、最も有効であると考えられる。

 次回に続く。