じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
朝日を浴びる半田山と農場の畑。大学周辺は大部分が住宅地で、その中に、転用待ちとしか思えないような農地が点在しているだけであるが、ここからの眺めはそれとは異質の、北海道の広大な農地のような印象を受ける。芽を出している作物が何であるのかは未確認だが、昨年は、このあたりでキビが育てられていた。 |
【思ったこと】 130709(火)比率の変化だけに目を奪われてはならない 昨日の日記で、「NHK・クローズアップ現代」に関連して、クリティカルシンキングと統計学の話題を取り上げた。いま、大学院の授業で扱っている教材の中に、これに関係のある調査・実験研究があったのでこれを機会にコメントしておきたいと思う。これらの調査・実験研究は、いずれも、シュワルツの『選択のパラドックス』の中で引用されていたものであるが、固有名詞などを一部、改変してある。
ここで重要なのは、ある判断をした人の比率が増加/減少したという結果から、「人間は、○○という条件のもとでは、二者択一を回避する傾向がある」という法則を結論づけてよいものだろうかという点にある。 上掲の1番目のCDプレーヤー購入の事例では、第一条件のもとで66%がA社製品を購入すると答えた。ところが第二条件になると購入すると答えた比率は27%に減少したという結果が得られたというのである。A社製品の価格は変わらないにもかかわらず比率が減ったわけであるから、確かに、条件操作(B社製品比較情報)は影響を及ぼしたとも言える。しかし、変化ばかりに目を向けてよいものだろうか。第二条件でも27%の人はA社製品を購入すると答えたわけで、この無変化を無視するわけにはいかない。 2番目の変形性関節炎患者に対する医師の選択においても、最新治療薬を処方すると回答した医師は、1.の条件では75%、2.の条件では50%であり、100人の医師がいたとすると、そのうち50人は、最新治療薬処方を選択し続けていたことになる。いっぽう専門医に相談すると答えた医師はこれに対して、(100人あたりとすると)25人から50人に増えたが、その増加分は25人分にすぎない。よって、この結果だけをもって、すべての医師において、「選択肢の数が増えると、判断を回避する傾向が増える」と結論してよいものかどうかは疑問が残る。正確に結論づけるのであれば、「選択肢の数が増えると、判断を回避する人が増えるがその影響は限られており、選択肢の数にかかわらず同一の判断を下す人もいる」とすべきではないだろうか。 3番目の病院閉鎖問題も同様。病院閉鎖を選択した議員の比率は、第一条件の2/3から1/4に減少したということであるが、25%は条件操作の影響を受けなかったとも言える。 おそらく、引用元の論文では、一般性のある結論を導き出すために上掲以外にもいろいろな検討が加えられているとは推察するが、いずれにせよ、比率が増えた、減ったというだけで、すべての人の行動傾向(行動法則、行動原理、...)を論じてしまってよいものかどうかは慎重に判断するべきであろう。 例えば、なにかの選挙で、A党の得票率が前回の45%から40%に減少、B党の得票率が前回の10%から20%に倍増したというような結果になったとする。この場合、新聞やニュースなどでは、「A党への批判増える、B党大躍進」などという見出しが出るかもしれないが、変化ばかりに目を奪われてはいけない。この場合、基本的にはA党が40%という多数の支持を得ていたというのがいちばん重要な結果であり、B党の躍進は、得票率倍増とは言ってもまだまだA党の半分にも及ばなかったということを意味している。さらに、実際の選挙の場合は、得票率と獲得議席の数は必ずしも比例しないので、議席の増減だけをもって国民の支持・不支持の動向を判断するのは誤りと言えるだろう。 |