じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 今年のお盆休みは、トルクメニスタンとウズベキスタンを旅行した。この時期は、どこへ行っても、日中は35℃以上、朝晩でも28℃以上であったが、空気が乾燥していたため、蒸し暑い日本よりは遥かに過ごしやすかった。

 写真は、砂漠の真ん中にあるダムラ村(トルクメニスタンのこのあたり)の子どもたち。この村では、炎天下では40℃以上(滞在中の最高気温は47℃)、日陰でも30℃以上の暑さが続いていたが、子どもたちは平気で遊んでいた。この村の辞書には「熱中症」という言葉は無さそう。



2013年08月17日(土)

【思ったこと】
130817(土)トルクメニスタンとウズベキスタンの違い

 今年のお盆休みは、トルクメニスタンとウズベキスタンに行ってきた。私自身は30年ほど前、旧ソ連時代に、2つとも訪れたことがある(2011年9月15日の楽天版参照)が、アシガバードやタシケントの町並みはすっかり変わっており、記憶に残っていたのは、アシガバード南側の山並みと、タシケントのテレビ塔程度であった。

 どちらの国も、1991年に旧ソ連から独立しているが、その後の変遷により、いくつかの点で大きく異なっていた。備忘録を兼ねて以下にメモしておく。
  • 面積は、ウズベキスタンが約44万7000平方キロ、トルクメニスタンが48万8000平方キロでほぼ等しい。
  • 人口はウズベキスタンが約2955万人、トルクメニスタンが約510万で、ウズベキスタンのほうが遥かに多い。
  • 2008年のGDP(PPP)は、ウズベキスタンが約715億ドル(一人あたり2600ドル)、トルクメニスタンが約300億ドル(一人あたり5700ドル)で国全体ではウズベキスタンのほうが多いが、一人あたりはトルクメニスタンのほうが2倍以上となっている。ちなみに2012年の日本は、約4兆6千億ドル、一人あたりは36000ドル。
    なお、トルクメニスタンでは、車の所有者は毎月120リットルまでガソリン無料、また、公務員や公共事業関係者は住宅の家賃が半額(もしくは無料?)、というような補助があり、生活はかなり豊かになっているように見えた。
  • ウズベキスタン大統領は1991年以来、イスラム・カリモフ。トルクメニスタン大統領は、1991年の独立から2006年に自身が死亡するまでがサパルムラト・ニヤゾフ、2007年以降は、グルバングル・ベルディムハメドフ
     トルクメニスタンの首都、アシガバートには、ニヤゾフの金ピカの銅像(というか、ホンモノの純金製?)がいろいろな場所に立てられおり、また、公共施設と思われる建物の正面や館内ホールには、現大統領ベルディムハメドフの写真が掲げられていた。もっとも、現大統領の写真はにこやかで、時には民族衣装やスポーツウェアやなどをまとっておりソフトイメージ定着を狙っているように思えた。
  • トルクメニスタンの車はトヨタが8〜9割を占めていた。しかも、比較的新しい車が多かった。ウズベキスタンのほうは、90%以上が自国の国産車。カリモフ政権の成果の1つとされているようだ。
  • トルクメニスタンでは、マンションや民家の殆どに衛星パラボラアンテナ(たいがい2方向に2機ずつ)が設置されていた。ウズベキスタンでも同型のアンテナはあったが数が少なく、代わりに、民家の屋根には地上波受信用と見られるアンテナが設置されていた。
  • トルクメニスタンでは大人が自転車が乗っている姿は、世界一周中の外国人の自転車を除いて一度も見られなかった。但し、上の写真にもあるように、子どもは各所で乗っていた。
  • いずれの国も、旧ソ連時代の抑圧を強調していた。ウズベキスタンには抑圧犠牲者の博物館があり、例えば、旧ソ連時代には、反体制の詩人が処刑されたり、空から綿花の農薬を散布した直後に、妊娠中の女性がその畑で働かされたために影響を受けたことなどが展示されていた。もっとも、旧ソ連崩壊後のロシア自体への反感は少なくとも表向きには見られず(というか自国内のロシア人も少なくない)、ドライバー同士はロシア語で会話していた。学校でも、自国語のほかにロシア語教育が行われており、公用語にもなっている模様(未確認)。
  • トルクメニスタンのホテルでは、CNNやBBCの放送が受信できていた。ウズベキスタンのホテルはロシアからの放送が多かった。
  • ウズベキスタンは二重内陸国であるが、タシケントの空港からは世界各地に航空路線が開かれている。いっぽう、トルクメニスタンは、国連が承認した唯一の永世中立国ではあるが、まだまだ外国との交流は少ない。中国、ロシア、タイ、インドなどいくつかの国と航空路線が開かれているが、突然の運航キャンセルも少なく無いとのことで、団体ツアーには向いていない。そのこともあり、今回は往復とも、ウズベキスタンとの国境を陸路で通過した。