じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 9月23日の秋分の日が近づき、太陽が真東から上るようになってきた。この時期の楽しみの1つは、岡大・本部棟に反射する太陽を眺めることである。撮影場所からは太陽がガラス面に当たって反射するには数日ほど早いようだが、建物内部のシャンデリアが反射する様子は眺めることができた。

 昨年9月9日の写真を右に再掲。
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2013年09月05日(木)

【思ったこと】
130905(木)高齢者における選択のパラドックス〜「選択の技術」は高齢者にも通用するか?(10)選択と後悔(4)後悔を減らす技法(1)

 昨日までの日記で、「なぜ後悔するのか?」の基本的なしくみについて論じた。なお、ここでは、とりあえず、
  • 過去において
  • 自らのオペラント行動により
  • 何らかの結果が生じた
というタイプ(postdecision regret)の後悔を扱うことにする。後悔には他にも「決断する前からの後悔(見越し後悔、anticipated regret)」、「やりそこねたこと(failures to act)の後悔」、「反事実思考(counterfactual thinking)がもたらす後悔」などいろいろなタイプがあるが、これらは後述することにしたい。また、ここでは、後悔はよくないものだという前提で後悔を減らす技法について論じるが、時と場合によっては、後悔にもメリットがある。これについてもいずれ論じる予定である。

 さて、昨日までに示した基本的な枠組みからは、後悔を減らす技法としては以下の3つのタイプが想定しうる。
  1. 「後悔事象取り出し行動」と競合する種々の行動を強化することで、後悔事象取り出しの頻度を減らす。
  2. 後悔事象そのものを「中性化」つまり、ネガティブな情動反応を生じないようにしてしまう。
  3. 後悔事象に関わる物語のうち、自己関与の部分を書き換えてしまう。

 1.のタイプは、簡単に言えば「他のことに熱中することで、当該の後悔事象を思い出す頻度を減らす」ようなことをいう。自分のミスにより試合で負けたことを後悔しているスポーツ選手の場合であれば、「次の試合のことだけを考えて練習に精を出す」とか、「学業に励むことでスポーツに関わる後悔の機会を減らす」というようなことが有効であろう。

 2.のタイプは、簡単に言えば「そんなことどうでもエエじゃないか」と見なすようになることである。昨日の日記の再掲となるが、多くの人にとって
  • 病気の悪化
  • 事故発生
  • お金の損失
  • 競技での敗北
  • 不公平な扱い(差別や偏見など)
などがネガティブな情動を引き起こすのは、おそらく、
  • 個体の存続に不利益となるような変化は、生得的な嫌子になりうる(病気や事故など)。
  • お金の損失は、損失しなければ確保できていたはずの好子の消失につながる。
  • 敗北や不公平は、その社会・文化の中で形成された習得性嫌子であろう。
というように説明できる。昨日も述べたが、これらのうち、習得性の好子消失や嫌子出現と思われる事象は、比較的簡単に「中性化」ができる。例えば、株売買で大損したことを後悔していた人が、その後乗っていた船が難破してロビンソンクルーソーのような生活を始めたとする。そうなるともはや、過去のお金の損失は「どうでもエエ」出来事として中性化される。

 いっぽう、病気や事故に関わる事象は、生得性の嫌子であるがゆえに、そう簡単には中性化できない。それでも、
  • 人はみないつかは死ぬものであり、この年齢で病気にかかるのは致し方ない。
  • 病気も事故も、すべて神様の御心によるものでそれを受け入れるほかはない。
  • 病気や事故は、すべて神様が私に与えてくれた試練である。
というように「物語」を作れば、自分の不注意で病気になったり事故が起こったことへの後悔はある程度軽減できるだろう。これらは3.の技法に相当している。

 ちなみに、科学がいくら発達しても宗教を信じる人が減らない、もしくは現代社会の中で逆に増えているとしたら、それはおそらく、宗教が、得心できる「物語」の作成に大きく貢献しているからに他ならない。

次回に続く。