じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
月齢5.0の月。今年は元日の20時14分が新月にあたっていたため、1月は日にちから1を引いた値が21時頃の月齢と一致する。また4月頃までは、月齢と日にちはほぼ一致しており、2月11日の月齢は11.6、3月21日の月齢は20.2、4月15日の月齢は15.7などとなっている。 なお、月齢を簡易計算するために必要な2014年の数[※]は「26」。6月以降の場合は、「月」と「日にち」に26を足すか、4を引けば、当日の月齢とほぼ一致する。8月1日であれば、8+1-4=5【21時の実際の月齢は5.6】、11月3日であれば、11+3-4=10【21時の実際の月齢は10.6】、12月23日の月齢は、4を引いても30を超えているのでさらに30を引いて、12+23-4-30=1【21時の実際の月齢は1.4】 ※1998年9月7日の日記参照。なお当日の日記の記録から、私が夕食後の散歩を開始したのは1998年9月6日であったことが判明した。 |
【思ったこと】 140107(火)100分 de 幸福論(3)『国富論(諸国民の富の性質と原因の研究)』と『道徳感情論』 昨日の続き。 続く経済学部門では、アダム・スミスの『国富論』が取り上げられた。浜矩子氏によれば、この本の原題は「諸国民の富の性質と原因の研究」という意味であったという。確かにウィキペディアの当該項目でも、「諸国民の...」が正式であるが、本文では一般的に知られている「国富論」を使うといった断り書きがあった。英語のタイトルは「An Inquiry into the Nature and Causes of the Wealth of Nations.」となっており、ここでいう「Nations」は複数形でもあるので「国家」ではなく「諸国民」と訳すのが正しいようである。ちなみに、この『国富論』や、番組でも併せて紹介された『道徳感情論』(The Theory of Moral Sentiments.)は、それぞれウィキペディアの外部リンクから、無料で閲覧することができるようである(PDFまたはhtmlバージョン)。 浜矩子氏が強調したのは、アダム・スミスが「共感」を前提として『国富論』を論じたという点であった。1776年刊行の『国富論』より17年前の1759年に刊行された『道徳感情論』では、 主に、近代市民社会におけるバラバラの個人が、「共感」をある種の秩序としてまとまっていることを述べている。 具体的には、人間存在とは、利己的だが、他人に同感する。また、道徳的適切さを指摘しており、第三者である「公平な観察者」が同感でき、当事者は「内なる人」として内面化する。そして、常識(良心)とは、第三者の目で見るということで、「自己規制」しつつ相互行為するものである。そしてこの元で、内なる道徳を持つフェアプレーの世界である社会が形成されるとされる。と説かれているという。htmlバージョンの第1章には確かに、共感(Of Sympathy)について、 How selfish soever man may be supposed, there are evidently some principles in his nature, which interest him in the fortune of others, and render their happiness necessary to him, though he derives nothing from it except the pleasure of seeing it. Of this kind is pity or compassion, .....という記述があった。ネットで検索したところ、 谷口文章(1980).アダム・スミスの共感について : 『道徳感情論』をめぐって. という紀要論文(大阪大学リポジトリ)がわかりやすく解説されているように思われた。関連論文として、同じ谷口先生の、
次回に続く。 |