じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
昨日の日記で、ウィキペディアで「韓国のテレビ業界では、2002年ごろから喫煙シーンの自主規制を始め、2011年現在、芸能人の喫煙はテレビで見られない。テレビドラマでタバコが写ることはなく、過去の映画作品等のタバコのシーンは「ぼかし」をかける。」と説明されていることについて、大変けっこうなことだと述べたが、韓流ドラマブームの原点冬のソナタ(2002年)では、かなりの頻度で喫煙シーンがあった。
C〜Fの喫煙シーンはそれほど必然性があるとは思えない。 |
【思ったこと】 14022(水)屋根部屋のプリンス(3)正義と悪の相対性 このドラマでは、朝鮮時代と現代それぞれに悪者がいて、こっそりモノを盗んだり、すり替えたり、なりすましたり、あげくの果てには命を狙ったりしている。現代の場面での主な悪役は、
「悪役が光る作品は成功する」とよく言われる。悪役が欲まみれで心根が腐っていればいるほど、主人公たちの公平性や誠実性がより際立って見えるし、悪役が主人公たちを苦しめ試練を与えれば与えるほど、視聴者は主人公の“同志”のような気持ちで一緒に悪役に立ち向かおうと主人公に入れ込むようになる。視聴者が悪役の悪事に本気でムカつき、悪役を演じる俳優さんを「大っ嫌い!!」となれば、それはドラマにどっぷりハマっている証拠。そのドラマは大成功と言える。と、悪役の活躍ぶりを称えている。 もっとも、冷静に考えてみると、このドラマでは主人公側も結構あくどいことをしている。
また、ホン・セナやヨン・テムは悪いことばかりしているように見えるが、それぞれ、恵まれない家柄、環境で育っており、そこから何とかして這い上がろうと必死であったことは間違いない。これは、私の心が聞こえる?のポン・マルや悪役のチェ・ジンチョルについても言えることだ。 そのいっぽう、ドラマの設定の中では、一族が支配するような企業、あるいは王朝時代は、血縁によって跡継ぎが選ばれるのが正しいとされる。革命モノを別とすれば、普通はこの体制を守ろうとするのが正義であり、体制を壊そうとする謀反は悪であるとされる。しかしその体制が続く限りは、非嫡出子はいくら努力しても上に立つことができない。 いずれにせよ、ドラマを楽しむためには、正義や悪は相対的なモノ、主人公が何かを達成するための努力を妨害するツールとして悪が設定されているというように割り切ることが肝要ではないかと思われる。 次回に続く。 |