じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
【思ったこと】 140317(月)コミュニティで創る新しい高齢社会のデザイン:平成22年度採択プロジェクト成果報告シンポジウム(7)在宅医療を推進する地域診断標準ツールの開発(2) 昨日に続いて、 在宅医療を推進する地域診断標準ツールの開発 についてのメモ・感想。 今回開発された「地域診断標準ツール」は、基本版と発展版から構成されている。 このうち基本版は、既存データを利用し、客観的な評価を行うものであり、スクリーニングや具体的な指針作りに活用される。 いっぽう、発展版は、独自データに基づくもので、訪問調査を通して質的に項目が検討された。こちらのほうは、具体的な介入策の立案に活用される。 既存データと独自データからなる2段階の構成というのは、この種の研究ではきわめて大切であるように思う。前者だけでは、具体策の無い事後的解釈に終わってしまう恐れがあるし、逆に後者だけでは成果の一般化が難しい(←質的心理学やフィールドワークでは往々にしてその傾向あり)。 なお、具体的な内容については、配付資料に「無断転載不可」と記されてあったのでここではふれない。リンク先にあるこれまでの資料でも、当該部分はカットされていた。 このほか、報告の終わりのほうでは、地域包括ケアシステム構築の喩えとして、オーケストラの例が挙げられた。オーケストラで感動的な演奏を行うには、演奏家だけでなく、作曲家や観客も重要な役割を担う。地域包括ケアシステムでは、演奏家=専門職、作曲家=行政・研究者、観客=市民に喩えられるというようなお話であった。 在宅看取りについては、フロアからも、家族介護の負担が指摘された。これに対しては、「在宅」は必ずしも家族介護を前提としていないこと、独居の方の場合はグループリビングという形の在宅もあることなどが回答された。なお、世界各国の在宅死亡率を比較すると、日本はきわめて低く10%台にとどまっているのに対して、外国では高いところでは80%、スウェーデン、オランダ、フランスなどをみても30〜40%となっていた。今回のツールを活用することで、日本でも40%程度を目ざすが【←数値は長谷川の聞き取りのため不確か】、病院での死亡も選択肢としてありうるというお考えが示された。 以上のお話についてのコメント・感想は以下の通り。 まず、在宅看取りという考え方であるが、これはあくまで本人や家族の希望に基づくものであってほしいと思う。医療費の国庫負担が嵩むからとか、病院側の都合で追い出されて、本人の希望に反してやむなく自宅で死を迎えるということはないように願いたい。 次に、今回の在宅医療の考え方は、拝聴した限りでは、病気やケガといったマイナス状態をゼロ状態に引き戻すための対処であったように思えた。もちろんそれは最低限かつ基本要件として必要であるが、在宅ケアでさらに求められるのは、ゼロ状態をどうやってポジティブに持って行くのかという話である。このあたりはセリグマンのスピーチでも強調されている通りである。例えば、在宅で寝たきりのお年寄りに交流や小旅行の機会を提供するとか、そのお年寄りの人生の物語づくりをサポートするといったサービスも必要である。それは決して、贅沢なサービスではなくて、生きがいの最低条件であり、また、ポジティブな環境を保障することは結果的に健康維持につながり、医療の負担を減らすことにもなるはずだ。 次回に続く。 |