じぶん更新日記

1997年5月6日開設
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 4月17日の岡山は最高気温が25.3℃まで上がり、今年最初の夏日となった。気象庁統計によると、2013年4月には夏日は出現せず、最初の夏日はGW終盤の5月6日であった。

 写真はそんな暖かさの中で新緑が目立つようになった農学部・東西方向のイチョウ並木。


2014年4月17日(木)

【思ったこと】
140417(木)長谷川版「行動分析学入門」第2回(2)行動、刺激を暫定的にどう定義するか(2)行動の暫定的定義(1)

 行動をどう定義するかという場合も、「同じ行動」とか「違う行動」というのは、それに関わる人のニーズによって異なってきます。とはいえ、他の現象と同様であって、好き勝手に主観で決めてしまってはいけません。それぞれのニーズに応じて客観的な判別基準があり、1つの基準のもとでは、「同じ」か「違う」かという判断は全員一致で下される必要があります。繰り返しになりますが、「同じ」、「違う」を明確にしておきませんと、「○○という行動が起こった」とか「○○という行動は増えた」というような確認・検証はできず、行動を科学的な分析の対象とすることはできません。

 さて、行動をどう定義するかという問題は、根本的には生物とは何か、動物とは何かといった議論から始める必要があります。また、「筋肉または腺の活動」といったミクロなレベルの行動から、「受験勉強」や「就職活動」といったマクロなレベルの行動までいろいろあります。もう1つ、後述するように「死人にできない活動はすべて行動である」という、行動と行動モドキを判別する基準(=「死人テスト」)というのもあります。

 とにかく、行動分析学は、行動が増えたり減ったりする原因、高頻度で持続的に出現する原因、なかなか起こらない原因、うまく続かない原因、行動が質的に変化していく原因などを主要な分析の対象とします。ですので、同じ行動が繰り返し起こるということを前提にしませんと学問として成り立ちません【※厳密に言えば、共通特性を持ったよく似た諸行動のまとまり、「反応クラス」が対象ということになりますが、分かりにくくなるので、後述予定とさせていただきます。】

 もちろん、「同じ行動など決して起こらない。1回1回の行動はすべて異なっており、それぞれの違いにこそ意味がある」と考える立場もあります。例えば、私は富士山に5回登っていますが、それぞれの回の登山の目的や、登った時の感激はみな違っています。もっと身近な、毎日の散歩でも、日々の発見や感動は異なってきます。人生を豊かにするためには、同じ行動の繰り返し回数ではなくて、一期一会と呼べるような1回ごとに異なる新鮮な体験を積み重ねることも必要であるとは思います。但し残念ながらそれは、行動分析学とは別の領域に委ねるほかはありません。

 ちなみに、行動分析学の創始者であるB・F・スキナーは、
直線走路を用いて研究が行われていた時代に、レバーを押すと自動的に餌が出てくる仕掛けを施したネズミ(ラット)用の箱型実験装置スキナー箱や、反応の記録装置として累積記録器を考案
したことで知られています。この場合の「レバーを押す」というのは、
梃子のような形のレバーを○○ニュートン以上の力でスイッチがonになるところまで押し下げ、それを離した瞬間に「1回の行動が生じた」としてカウントされる
というもので、機械的、操作的に定義された行動を対象としています。要するに、実験者側から「同じ行動とはこういうものだ。同じ行動をしないと餌をやらないぞ」と命令しているようなものです。これは、量的な分析にはきわめて有効ですが、見方を変えれば、1回ごとに異なるかもしれない「レバー押しの意味」を完全に無視しているとも言えます。ネズミならそれでもいいのでしょうが、人間がお寺の鐘をついたり、念仏(宗派によってはお題目)を何度も唱える時には、回数だけ多ければそれでよいというものではありません。このことをふまえた上で、行動分析学で分かることと、分からないことを学んでいただければと思います。

 このほか、これも後述しますが、行動には常に入れ子構造形の階層性があります。例えば、一口に「外出する」という言っても、どこに外出するのかによって内容は異なってきます。そしてもし行き先がテーマパークであったとすると、今度は「テーマパークで、絶叫マシンに乗る」、「レストランで食事をする」といった、さらに要素的な行動がその入れ子の中に入ります。どういういう入れ子を分析対象にするのかということもまたニーズによって変わってきますが、何が同じで何が違うかという客観的な基準を設けて区別していくことは同じように必要です。

 不定期ながら次回に続く。