じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
時計台前(文学部東)の広場にある八重桜(写真上)と鬱金桜(写真下)。八重桜の近くにはクスノキがあり、この季節、春落葉が目立つ。写真下の鬱金桜のほうは、鬱金色からピンク色に変わってきた。 |
【思ったこと】 140418(金)長谷川版「行動分析学入門」第2回(3)行動、刺激を暫定的にどう定義するか(3)行動の暫定的定義(2) 今回は、行動の暫定的定義についての補足。 前回、行動をどう定義するかという場合も、「同じ行動」とか「違う行動」というのは、それに関わる人のニーズによって異なってくると述べました。ここでいう「それに関わる人」というのは、行動する人自身はもちろん、その行動によって影響を受ける人、そして、それら2人を含むコミュニティ全体をも含みます。例えば、日本語の言語コミュニティにおいては「lalilulelo」という発音と「rarirurero」という発音はどちらも同じ「らりるれろ」という同一の発音であると見なされます。日本語の会話をする時にはそれらの違いに注意を払う必要はありません。また日本に生まれた子どもは、「らりるれろ」だけが正確に発音できるように訓練されていきます。しかし、アール(r)とエル(l)の発音が明確に区別される言語もあります。例えば、英語ではriceはお米のことですが、liceと発音すると、シラミ(louseの複数形)の意味になってしまいます。よって、喋る人もそれを聞き取る人も、アールとエルの違いをしっかり区別しなければなりません。 要するに、何が同じ行動で何が違う行動かということは、1つのコミュニティの中で一定の枠組みが与えられており、その中で、ある程度までの範囲で個々人のニーズが反映して決まってくるということです。見方を変えれば、同じコミュニティの中で行動分析学を応用するという場合は、すでに暗黙の前提として行動のカテゴリーが決まっており、厳密な判別基準を設けなくても、「○○する」という行動の基準や意味が他の構成員に伝わりやすいという可能性はあります。ですので、行動分析学の入門書でいきなり「○○という行動」と書かれてあっても、実際にはそれほど誤解が生じることはありません。 不定期ながら次回に続く。 |