じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
本部棟屋上から昇る太陽。5月に入って方位が北側(左側)に移動してきたため、この光景が私の住んでいる場所から眺められるのはそろそろ終わりとなってきた。これから夏至にかけては、本部棟左にある龍ノ口山からの日の出となる。写真右は4月25日の写真。 |
【思ったこと】 140502(金)長谷川版「行動分析学入門」第5回(1)好子出現の随伴性による強化(1)幸福(生きがい)の本質はここにあり 前回までのところで、オペラント行動が増えたり減ったりする原因は、基本的に以下の4通りのいずれかに分類できると述べました。
この4通りの中でも私たちの日常行動に最も関係があるのが、1.の「好子出現の随伴性」です。極言すれば、2.から4.の随伴性が無かったとしても、1.だけがちゃんと機能していれば、私たちはちゃんと生きていくことができます。ちなみに、かつてスキナーが来日講演で説いた「The Non-Punitive Society(罰無き社会)」【こちらから無料で講演録を閲覧できます】も、基本的には、好子出現の随伴性だけで暮らすことのできる社会を提言したものと言うこともできます。また、その講演録の中でスキナーは、幸福(生きがい)について Happiness does not lie in the possession of positive reinforcers; it lies in behaving because positive reinforcers have then followed.と説いています。佐藤方哉先生によれば【『罰無き社会』の佐藤方哉訳(行動分析学研究、1990, 5)】では、この部分は 幸福とは、正の強化子【=好子】を手にしていることではなく、正の強化子【=好子】が結果としてもたらされたがゆえに行動することなのです。と訳されていますが(【 】は長谷川による補足)、これをかなり意訳すれば、 好子(positive reinforcers)自体を手にしているだけでは決して幸福にはなれない。好子出現によって強化されているような行動の中にこそ、真の幸福(生きがい)がある。となり、さらに意訳すれば、 モノをいくら手に入れても幸福にはなれませんよ。幸福というのは、行動することで初めて得られるものです。といっても、徒労や強制労働は含まれません。結果として好子が出現するように強化されている行動の中にこそ真の幸福があります。とも言えますし、 いくら、好子、好子と追い求めても、真の幸福をもたらす好子など決して存在しません。いっぽう、がむしゃらに行動するだけでも幸福にはなれません。「行動」と「好子出現」がセットになって初めて、真の幸福(生きがい)を実現させることができます。というようにも解釈できます。 この考え方が当てはまる事例として、私はしばしば「ザリガニのエピソード」を挙げています。かつて近所で畑を借りていた時の個人体験です。 【私が】畑で草取りをしていたところ、隣の畑との間にある溝に、近所の小さい子がザリガニを釣りにきた。スルメを糸でくくって竹竿でつるした仕掛けだがなかなか釣れない。しばらくして、隣の畑で農作業をしていたおじさんが、「ほれ大きいのを採ってやろうか」といって、水撒き用の柄杓で溝からザリガニをすくい上げる。ところが、その子、少々迷惑な顔をして、再びザリガニを釣り続けた。要するに、その子どもにとっての生きがいは、自分で能動的にザリガニを釣ることにあったわけです。いくらザリガニをたくさん貰っても、自分の行動が伴ってなければ楽しみにはなりません。 同じような考え方は、高齢者のQOLにも応用できます。高齢者施設の利用者さんに、いくらモノを提供しても、それだけで満足して貰えることは決してありません。かなりの要介護であっても、利用者さんが自分で能動的に行動し、結果として好子を手に入れるというような環境を保障しませんと、QOLの向上にはつながりません。 上掲の講義録の中でスキナーは、こういうことも言っています。 What are the rights of a prisoner, for example? A person who has been incarcerated and then given the things he needs to survive is being denied a very basic right. He is being destroyed as a person by having his reinforcing contingencies stripped away. The same thing happensto those on welfare. A humane society will, of course, help those who need help and cannot help themselves, but it is a great mistake to help those who can help themselves. Psychotic or retarded people who in essence earn their own living would be happier and more dignified than those who receive their living free and are then treated punitively because in the absence of reinforcing consequences they behave badly.Those who claim to be defending human rights are overlooking the greatest right of all: the right to reinforcement.「結果として好子が出現するように行動する」機会を大切にしようという考え方は、行動分析学にご縁の無かった介護・福祉の現場でも広く定着しつつあるように思います。私も参加しているダイバージョナルセラピーの活動も基本的にはこの考え方を取り入れていますし、ダイバージョナルセラピーとは異なりますが、先日、ガイアの夜明けで紹介されていた夢のみずうみ村の取り組みも、「結果として好子が出現するように行動する」機会を最大限に尊重しているように思われました。 もちろん、「結果として好子が出現するように行動する」だけで、100%幸せになれるという保障はありませんが、少なくとも、幸福や生きがいの必要条件(←十分条件かどうかは不明)であることは間違いないと思います。そういう見通しをもって、「好子出現の随伴性による強化」について理解を深めていただければと思います。 次回に続く。 |