じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
吉備津神社にあった合格祈願門。大学受験生のほか、国家試験合格祈願の絵馬などが並んでいた。 |
【思ったこと】 150208(日)日本史を変える10の発見 2月4日に放送されたNHK歴史秘話ヒストリア、 新常識! 歴史NEWS 〜日本史を変える10の発見〜 を録画再生で視た。中学・高校で習った日本史の知識の中には、その後の新しい発見によって訂正されたものや、謎が解明されたものも含まれているということであった。 「10の発見」には含まれていないが、番組冒頭で、
このうち源頼朝については、征夷大将軍に任じられた1192年が鎌倉幕府成立の年とされてきたが、最近では、頼朝が朝廷から守護・地頭の設置を認められた1985年(=文治の勅許)において、すでに軍事・警察・土地支配権を公認されていたことを重視する説が有力となってきたということらしい。【こちらに関連記事あり。】 歴史学については全く素人の私であるが、ここではおそらく、征夷大将軍に任じられることが、制度上、あるいは支配権としてどれだけの実効性を有していたのかが議論になっているのであろうと推測される。頼朝は3年後には征夷大将軍を辞職していたという説、さらには、征夷大将軍自体は、大伴弟麻呂や坂上田村麻呂が任じられているものの幕府を開いたわけではないので、必ずしも朝廷が幕府成立を公認した証にはならないという説(←というか、「鎌倉幕府」や「室町幕府」という呼称が定着したのは江戸時代中期以降)もある。けっきょく、ウィキペディア記載の通り、「鎌倉幕府は、ある一時期をもって成立したと見るのではなく、徐々に数段階を経て成立したとする見解が支配的である。」ということになるのか。 いっぽう、和同開珎と、富本銭の論争については、1999年1月19日には、奈良県明日香村から大量の富本銭が発見され、最古の貨幣は和同開珎という定説が覆る、教科書が書き換えられるなどと大きく報道されたものの、未だ、定説にはなっていないようである。理由は、本当に流通したのか、それとも宗教的な目的の厭勝銭であったのかが確証できないためであるようだ。また、一口に流通といっても、今の経済体制とは流通の仕組みが異なること、日本では厭勝銭目的だけの貨幣は発行されていないことなども考慮する余地がある【ウィキペディアに論点が詳細に紹介されている。】 でもって、本題の「日本史を変える10の発見」であるが、... 第1位 『本能寺の変』 新文書で真相解明!?発見そのものの意外性や重要性は別として、教科書の記述を書き換えるような発見に値するものは、第1位の『本能寺の変』程度だけではなかったかという気もする。 番組で紹介された資料は、ウィキペディアに掲げられている諸説のうちの「四国説」を支持するものであった。 なお四国説で重要な役割を果たす長宗我部元親は、信長の死で危機を脱したもののその後秀吉に降伏。阿波・讃岐・伊予を没収されて土佐一国のみを安堵されたという。しかし、その4男として家督を継いだ長宗我部盛親は、大坂の陣で豊臣方について敗れ、斬首されたという。戦国時代の武将は、いつどんな形で名をあげられるか、またどういう不運で命を落とすのか、「オックスフォード白熱教室」の話題で言えば、まさにカオス理論の世界かもしれない【←決定論的な説明は困難であり、事後的なこじつけに終わる恐れがあるという意味】。 |