じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 この時期、ジャノメチョウの仲間を見かけることが多くなってきた。このうち、クロヒカゲとヒカゲチョウの区別はなかなか難しい。ネット上の見分け方情報によれば、
  • 写真右に示した黄緑色の円内に黒っぽい横線が2本あればクロヒカゲ、茶褐色1本であればヒカゲチョウ
  • 同じく青色の四角内の茶褐色の曲線が鋭角になっていればクロヒカゲ、鈍角であればヒカゲチョウ
であるというが、はっきりしない場合もある。このほかにクロヒカゲモドキもいる。


2015年06月09日(火)


【思ったこと】
150609(火)NHK 100分 de 名著43「荘子」(4)「不得已而後起」

 昨日の続き。

 放送2回目では、外篇・刻意の中の
不為福先。不為禍始。感而後応。迫而後動。不得已而後起。去知与故。循天之理。
(福の先と為さず、禍の始と為さず、感じて後に応じ、迫りて後に動き、)已むを得ずして【而る】後に起つ。 知を故とともに去り【知と故とを去りて】、天の理に循う、(故に天災無く、物累無く、人非無く、鬼責無し。)
という部分が紹介された。大学受験の際に漢文の勉強をバッサリ切り捨てた私には正確な解釈はできないが、ネットで検索したところ、こちらに以下のような現代語訳が紹介されていた。
福のために先頭を切ることなく、禍いの張本人となることもなく、物に感じては始めてそれに応え、外から迫られて始めて動き、やむをえない状況になって始めて起き上がり、小ざかしい知恵や巧妙な手管をうち捨てて、自然本来の筋道にしたがっていく。そこで自然の災難を受けることなく、神霊の罰を受ける事もない。
 このあたりはなかなか奥深く、番組の解説だけでは理解しにくいところがあった。例えば「感而後応」という時の「感応」は「他人からはたらきかけられて心を動かす」という意味であるという【こちら。】 単に外界の動きに応じるだけであるなら自然随伴性も含まれるが、「他人からはたらきかけられて」という前提であれば付加的随伴性、それも、義務を伴うような「好子消失阻止の随伴性」あるいは「嫌子出現阻止の随伴性」で行動するという意味になる。

 放送では、さらに計画を立てたり、目標を掲げたり、予断することについて再考が求められた。「しあわせ」は奈良時代には「為合」と書かれていたこと(意味は「天がこのようになさるのでそれに合わせるしかない=運命)、その後、室町時代には「仕合わせ」となり、相手がこうしたので私はこう合わせた(仕合わせた)、と書かれたが、いずれも能動的な働きかけによってみずから獲得するものではなく、周囲の動きに合わせていくという受け身的姿勢が元になっているということであった。

 ここで少しだけ脱線するが、「しあわせ」は「幸福」と書くこともある。これについては以前、
  • 「幸」:「手かせ(手錠)」がもともとの意味。現在では「手かせをはめられる危険を、危うくのがれた」という意味。
  • 「福」:英語の「Welfare」。費用や制度。
というような意味であると聞いたことがあった【こちら参照】。映画の『幸福の黄色いハンカチ』は「しあわせのきいろいハンカチ」と読むが、「こうふくのきいろいはんかち」と読むと多少意味内容が変わってくるはずである。ま、字源や語源は、必ずしも普遍的原理や真実を反映したものではない。時代が移り変われば当然、意味内容も変わってくるので、あまり気にしなくてもいいかな、という気もする。

 もとの話題に戻るが、「感而後応。迫而後動。不得已而後起。」という姿勢は、明日の命もしれない戦乱の世に生きる者ならともかく、いまの世の中で生き抜く若者には必ずしもふさわしくないように思える。いっぽう、高齢者の場合は、好むと好まざるとに関わらず、体力も知力も衰え、いずれ病にかかり、死を迎えることになる。まさに「循天之理」にならざるをえない。

 とはいえ、そういう右肩下がりの衰えにあっても、ある程度のサポートを受けることで能動性は発揮できるし、努力次第で健康寿命を延ばし、「寿命マイナス健康寿命」の年数をできる限り減らすことは可能であると思う。

 また、計画や目標を立てることは必ずしも悪いものではなく、むしろ、行動を活性化し、プラスαの好子(目標達成の度合いや、累積的結果の確認)をもたらす。計画や目標を失い、自然随伴性だけで生きようとすると、けっきょく、行き当たりばったりの刹那的な人生に終わってしまうような気がしないでもないが、少なくも仏教ではそれを回避するような仕組みがちゃんと用意されているのであろう。荘子でどう説かれているのか(←それとも「和して唱えず」に徹するのか)、神道ではどうなのかは、勉強不足で私には分からない。

 不定期ながら次回に続く。


 

 不定期ながら次回に続く。