じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
岡大西門・西側花壇の近況。
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【思ったこと】 150622(月)NHK 100分 de 名著43「荘子」(12) 吾始乎故,長乎性,成乎命 6月18日の続き。 放送第3回では、さらに、激流に逆らわない泳ぎの達人の話が紹介された【達生第八】。ネットで検索したところ、こちらに原文と英訳が掲載されていた。 孔子觀於呂梁,縣水三十仞,流沫四十里,■▲魚◆之所不能游也。見一丈夫游之,以為有苦而欲死也,使弟子並流而拯之。數百◇而出,被髮行歌而游於塘下。孔子從而問焉,曰:「吾以子為鬼,察子則人也。請問蹈水有道乎?」曰:「亡,吾無道。吾始乎故,長乎性,成乎命。與齊△入,與★偕出,從水之道而不為私焉。此吾所以蹈之也。」孔子曰:「何謂始乎故,長乎性,成乎命?」曰:「吾生於陵而安於陵,故也;長於水而安於水,性也;不知吾所以然而然,命也。確かに、自然の大きな流れの前では、一人の人間の行動が及ぶ範囲は限られている。もちろん人間や動物は、オペラント行動を通じて環境に働きかけ、環境を少しだけ「加工」して適応する力を持っているが、環境全体を作りかえることはできない。むしろ、流れと一体となって、その中で持ち前を発揮することに力を注いだほうが良いということなのだろう。 ちなみに、私自身は泳ぎは得意ではないが、仰向けの状態で長時間水に浮かぶことができるという特技?を持っている【こんな感じ】。そのさいのコツは、とにかく水と一体になり自然体で静止することだ。なまじ、浮かぼうとしてもがいたりするとかえって体の一部が沈んでしまい、慌てて、手足をばたつかせないと水を飲んでしまう。無理に浮かぼうとせず、何も考えずに仰向けの姿勢を保てば自然に足の先のほうが水面まで上がってきて安定した状態を持続させることができる。 上記引用文中の「吾始乎故,長乎性,成乎命(吾れ故に始まり、性に長じ、命に成る)」について、番組では、
猫の例や、「新たに習慣化したものを“もちまえ”にしてもいい」というお話を私なりに勝手に解釈すると、
もっとも、ネットで検索したところ、「吾始乎故,長乎性,成乎命」については「己の性、道の性、天の性を尽くして生きる」という解釈もあった。「道」については放送第4回で詳しく取り上げられていたので、次回以降に考えてみることにしたい。 不定期ながら次回に続く。 |