じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
日曜日、2015年度日本語能力試験(JLPT)が岡大構内で行われ、多くの外国人が受験していた。こちらのデータによると、昨年度の国・地域別受験生の数は、
この試験当日は、敷地内全面禁煙を無視した喫煙が懸念されたが、夕刻、私が見回った限りでは、受験生たちを待つ家族・知人の中で、東南アジア系とみられる3名の男性の喫煙が確認され、さっそくご注意申し上げた。いずれも「分かりました。すいません。」と、直ちに喫煙を止めてくれた。 |
【思ったこと】 150705(日))『嫌われる勇気』(7)怒りは捏造されるものか? 7月3日の続き。 「第一夜」(第一章)では続いて「人は怒りを捏造する」という話題が取り上げられていた(8頁〜)。「一張羅にコーヒーをこぼされた時に怒りに駆られて大声を出す」というのは、「哲人」によると、「大声を出すために怒った」、つまり、大声を出して相手を屈服させるために、「その手段として、怒りという感情を捏造した」、「怒りとは出し入れ可能な「道具」」であるというのである。さらに、決して感情を否定しているわけではないが、「感情に支配されない」、その意味において「過去にも支配されない」という意味においてニヒリズムの対局にある思想・哲学であると論じられていた。 ここで念のため、怒りとは何かを確認しておく。辞書的には、
いっぽうウィキペディアでは、 人間の原初的な感情のひとつで、様々な要因・理由で起きるもので、例えば目的を達成できない時、身体を傷つけられた時、侮辱された時などに起きるものであと説明されていた。ウィキペディアでは「怒り」は「原初的な感情のひとつ」とされていたが、赤ちゃんの感情の発達をみると、「怒り」は出生時から備わったものではなく(←怒っている赤ちゃんは居ない)、半年ぐらい経ってから芽生えてくる感情のようである。 ついでに「感情」についても念のため復習しておくと、一般に「感情」と呼ばれるものには相当の種類がある(感情の一覧参照)。心理学的な分類としては、 表情認知からみた感情の分類。ポール・エクマンは次の6つの感情は生物学的基盤を持ち、ヒューマン・ユニバーサルズであると結論した。なお、「幸福感、驚き、恐れ、悲しみ、怒り、嫌悪」という6つの感情のうちの1番目の「幸福感」は「喜び」に置き換えられることもある。また、嫌悪対象に対しては、自分から能動的に対処できる場合には「怒り」となり、受け身的にならざるを得ない時は「恐れ」になると考えることもできそうだ。 いずれにせよ、感情というのは、特定の条件のもとで生起するものである。上述したように、「怒り」に関して言えば、「不満・不快、許しがたい事柄、不愉快」などが原因となっていることからみて、いくら「怒り」が原初的な感情の1つであったとしても、その生起条件が満たされなければ「怒り」は怒らない。そのためには、単に辛抱強くなるというのも1つだが、「評価をせずに、とらわれのない状態で、ただ観る」というマインドフルネスや、「慾ハナク 決シテ瞋ラズ イツモシヅカニワラッテヰル...アラユルコトヲ ジブンヲカンジョウニ入レズニ ヨクミキキシワカリ ソシテワスレズ」という宮沢賢治の精神を身につけることでも「怒り」の生起頻度は減少するはずだ。 もっとも、怒りが悪者であるとは限らない場合もある。2014年、マララさんとともにノーベル平和賞を受賞した、Kailash Satyarthi氏は、TEDで、 How to make peace? Get angry. というスピーチの中で、 Anger is a power, anger is an energy, and the law of nature is that energy can never be created and never be vanished, can never be destroyed. So why can't the energy of anger be translated and harnessed to create a better and beautiful world, a more just and equitable world?として、「怒り」の意義を論じており「And the angriest among us is the one who can transform his anger into idea and action.」と結んでいた。利己的な怒りとは別として、世の中の不公正や人権侵害に対する怒りはやはり必要と言えるかもしれない。 不定期ながら次回に続く。 |