じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
猛暑の中で赤味を増す珊瑚樹の実。 |
【思ったこと】 150805(水)『嫌われる勇気』(26)課題の分離 昨日の日記で少々脱線したので、ここからは本書に戻る。 第三夜(第三章)では、承認欲求否定に続いて、「課題の分離」という話題が取り上げられている【139頁】。 以下、要約引用すると、
以上については、その是非や解釈の妥当性についてまだまだ議論する必要があるかと思うが、少なくとも私のライフスタイルにはきわめて良くマッチしている。「哲人」さんからこのような教示をいただかなくても、すでに私はそういう生き方をしていると言えそうだ。 唯一の例外は、大学敷地内で喫煙している者を見つけた時、例外なくその場に駆けつけて喫煙を止めさせていることである【こちらの日記参照。】 これは明らかに、喫煙者自身の課題に踏み込んでいると言えるが、これはあくまで敷地内での違反喫煙に限ってのこと。その喫煙者が自宅でどれだけ喫煙しようが、あるいはその結果として肺疾患や、重度の薬物依存になったとしても、そのことまで面倒をみるつもりは全くない。 あと、余談だが、「馬を水辺に連れていくことはできるが、水を呑ませることはできない。(You can take a horse to water but you can't make him drink.)」という諺について一言。本書では、これは、「行動機会を提供するところまではサポートできるが、そこから先はその人自身の課題であり、するかしないかはその人しだい」というような意味に使われている。一般には、「馬自身がのどが渇いていなければ水を飲んだりしない。」というように、本人の自主性や「やる気」次第という意味でも使われているようだ。以上は、行動分析学では、行動機会、確立操作、オペラント行動という概念を使っても説明できる。水を飲むというのは(口から無理やり水を流し込んだりしない限りは)あくまでオペラント行動であって、その個体によって自発されるという特徴がある。よって、それを自発させるためには、水を与えないといった確立操作(この場合は遮断化手続)が効果的である。このほか、プレマックの原理を応用すると、「水を一口飲むごとに人参一本を与える」という条件のもとでは、喉の渇いていない馬であっても、人参を得るための手段として水を飲むことはありうる。いっぽう、水辺に連れて行くというのは、物理的な力で無理やりそこに移動させるほか、水辺まで進まないと鞭で叩くといった「嫌子消失の随伴性による強化」によっても可能。もちろん、喉の渇いている馬であれば、自分から水辺に行くというオペラント行動を自発するであろう。 不定期ながら次回に続く。 |