じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



08月のインデックスへ戻る
最新版へ戻る

 8月10日の岡山は最低気温25.4℃の熱帯夜、最高気温は36.1℃の猛暑日となったが、17時すぎかに1時間程度、積乱雲による雨が降った。気象庁の記録では18時台に0.5ミリの降水量が記録されているのみであるが、大学周辺では17時台からずぶ濡れになるくらいの強さの雨が降っていた(←岡山県岡山の観測施設は岡大構内にあるはずだが...)。

 またこの雨により、翌日8月11日の最低気温は24.4℃まで下がり、7月29日以来続いていた熱帯夜が解消した。

2015年08月10日(月)


【思ったこと】
150810(月)『嫌われる勇気』(30)共同体感覚と外部環境へのコミット

 昨日の続き。第四夜(第四章)ではいよいよ、アドラー心理学の鍵概念とされている「共同体感覚」について論じられていた。要約引用すると、
  1. 対人関係の出発点は「課題の分離」であり、ゴールは「共同体感覚」である【178-179頁】
  2. 他者のことを「敵」と見なすか、「仲間」と見なすか、について踏み込んで考えると、もしも他者が仲間だとしたら、仲間に囲まれて生きているとしたら、そこに自らの「居場所」を見出すことができる。他者を仲間だと見なし、そこに「自分の居場所がある」と感じられることを、共同体感覚という。【179頁】
  3. アドラーのいう共同体には、家庭や学校、職場、地域社会だけでなく、国家や人類、動植物や無生物、また時間軸においては過去から未来までも含まれる。但し、アドラー自身、「到達できない理想」と認めているところがある。【180頁】
  4. 「共同体感覚」は英語では「social interest」、つまり「社会への関心」という意味。【181頁】
  5. 「自己への執着(self interest)」を「他者への関心(social interest)」に切り替えることで「共同体感覚」を理解することができる。【181頁】

 上掲の5.のところで“「他者への関心(social interest)」に切り替えることで「共同体感覚」を理解することができる。”と要約引用したが、共同体感覚=他者への関心(social interest)という定義が正しいとすると、これは「共同体感覚に切り替えることで共同体感覚が理解できる」と言っているようなものであり、これでは同義反復になってしまう。もっとも、「自己への執着」を捨てて「他者への関心」に切り替えましょう、という意味であれば、具体的内容は理解できる。

 「共同体感覚」と言われると、そんなものあるかいな、人間も動物もみな生存競争、棲み分け、共生のバランスの中で結果として生き残っているだけであって、幻想にすぎないと思わざるを得ないところがあるが、単に、外部環境への関心という意味であるなら、これは結局、オペラント行動と同じ意味になる。じっさい、
アドラー心理学では、所属感とはただそこにいるだけで得られるものではなく、共同体に対して自らが積極的にコミットすることによって得られる【187頁】
というのは、
存在感はただそこにいるだけでは得られるものではない。外部環境に対して自らが働きかけ(=オペラント行動の自発)、強化されることによって得られる
というように置き換えれば、行動分析学と同じことを言っているようにも見える。もっとも、行動分析学的に言えば、外部環境に働きかけているだけではダメで、その行動は強化される必要がある。この場合の強化には、自然随伴性による強化と付加的随伴性による強化がある。このうちの付加的随伴性は、他者からの評価、賞罰などを意味するので、アドラー心理学では徹底的に排除されるであろうが、自然随伴性であれば実質的に「貢献」と同じ意味になるように思う。但し、自然随伴性は行動の実質的成果に直結している。実質的に成果が上がらなければその行動は消去されていく。成果が上がらないことを続けようとするのは、自分の手で付加的強化をしているだけであって、悪く言えば自己満足ということになる。

 不定期ながら次回に続く。