じぶん更新日記

1997年5月6日開設
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 8月20日朝は小雨模様のため、マツヨイグサの花が萎まずに残っていた。写真は、岡大・津島キャンパスの地層保存・展示場所に群生するマツヨイグサ。正確にはメマツヨイグサ、もしくはアレチマツヨイグサと思われる。なお写真右は、半田山植物園の工事現場で見られた半田山の地層。

2015年08月20日(木)


【思ったこと】
150820(木)『嫌われる勇気』(40)「勇気づけ」

 第四夜(第四章)の後半ではいよいよ、「勇気づけ」に焦点があてられているが、私のように、「行動」を中心とした枠組みで考える者にとっては、この概念を理解するのはきわめて困難である。とりあえず、要点と思われる部分を要約引用してみると、
  1. まずは課題の分離。そしてお互いが違うことを受け入れながら対等な関係を築くこと。「勇気づけ」はその先にあるアプローチ【203頁】
  2. 大切なのは、他者を「評価」しない、ということ。横の関係を築けているのなら、感謝、尊敬、喜びの言葉が出てくる。【204〜205頁】
  3. 人は感謝の言葉を聞いたとき、自らが他者に貢献できたことを知る。【205頁】
  4. 人は、自分には価値があると思えたときにだけ、勇気を持てる。【205頁】
  5. 人は「わたしは共同体にとって有益なのだ」と思えたとき自らの価値を実感できる【206頁】
  6. 共同体、つまり他者に働きかけ、「わたしは誰かの役に立っている」と思えること、つまり、自らの主観によって「わたしは他者に貢献できていると思えること、そこではじめて、自らの価値を実感することができる。【206頁】

 以上の引用部分でよく分からないのは、まず、「勇気づけ」の正体である。ネットで検索したところ、こちらに、「勇気づけ」と「ほめる」ことの違いが分かりやすく紹介されていた。アドラー心理学を本格的に学ばない限りは、この概念を体得することは困難であろう。なお、リンク先で、「ほめる」は、
  • 相手が自分の期待していることを達成した時(「勇気づけ」は、失敗したときにも)
  • 与える側の関心(「勇気づけ」は与えられる側の関心)
  • 行為をした人が対象(「勇気づけ」は行為そのもの)
  • 他人との競争や周囲の評価に波及・効果を及ぼす(「勇気づけ」は、自己の成長や責任感に波及・効果)
  • 口先だけだと捉えられやすい(「勇気づけ」は心からのものであると伝わる)
  • その場限りで明日への意欲が生まれにくい(「勇気づけ」は明日への意欲を生む)
というように比較・対照されていたが、ここに挙げられている「ほめる」は、間違った褒め方の部類に属するものであり、もっと、与えられる側本位で、行為そのものを対象とした褒め方、さらに、明日への意欲が生まれるような褒め方というのがあるように思う。というか、「ほめる」という「与える側」の定義ではなく、「与えられる側」にとって、付加的強化がどのような効果をもたらすのかという立場で検討していかなければならないと思う。

 次に分からないのが「自らの価値」や「貢献」という概念である。少なくとも私自身は、日頃、自らに価値があるかないかなどということを全く意識しないで生きている。結果として価値があるかもしれないし、なかったかもしれないが、自分のいまの生き方や将来を左右するものではない。「貢献」については、価値観が多様化し、それぞれの人や自分本位、それぞれの国が自国本位の利益を追求していく中にあっては、けっきょく、相互利用(お互いに利用し合う)という形でしか貢献できないようにも思える。

 不定期ながら次回に続く。