じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
文学部の建物西側にあるサルスベリと上弦の月。サルスベリは西側にあるため、夕日があたる時間帯がいちばん映える。
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【思ったこと】 150823(日)『嫌われる勇気』(43)「関係フレーム理論」、「ACT」との比較(2) 昨日の続き。 「自らの」と「価値」を「関係フレーム理論」、「ACT(アクト)」の枠組みで理解するためには、少なくとも、
私が拝読した以下の4冊:
まず、ACTは「アクセプタンス&コミットメント・セラピ−」という名の通り、セラピーの1つとして開発されたものではあるが、その目的は必ずしも、マイナスの状態を「正常」に引き戻すものではないと明記されている。 心理学のモデルのほとんどは、機械論(mechanism)という哲学が基になっている。機械論のモデルでは、マインドを多くの部品からできている機械のように扱う。そして「問題のある」思考や感情は、機械の欠陥部品、あるいは機械構造上の誤りと見なされる。このモデルのねらいは、欠陥部品の修復、交換、除去を行い、機械を正常に機能させることである。【56頁】 いっぽうACTでは ACTの姿勢は全く異なる。私たちの目標は、「症状」の緩和や除去ではない。クライエントとクライエントが持つ思考や感情との関係を根本的に変え、好ましくない思考や感情を「症状」と捉えなくてすむようにするのがねらいである。【57〜58頁】 さらに、 マインドフルネスの文脈では、思考や感情は「症状」でも「問題」でも、豊かで充実した生活を送るのを邪魔するものでもない。思考は思考、感情は感情、それ以上でもそれ以下でもないのだ。【59頁】 と記されている。以上の部分は、『嫌われる勇気』で指摘されている、
といった点とかなり共通しているようにも思われる。但し、私の理解では、『嫌われる勇気』が、原因論に代わる目的論、課題の分離、共同体感覚という道をめざしているのに対して、ACTやマインドフルネスは、「人間の言語が持つダークサイド」(トールネケ, 2013, 188〜217頁)に注目し、行動の結果のみならず、行動の先行事象に注目しながら文脈を変えることを目ざしているようである。 不定期ながら次回に続く。 |