じぶん更新日記

1997年5月6日開設
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 文学部の建物西側にあるサルスベリと上弦の月。サルスベリは西側にあるため、夕日があたる時間帯がいちばん映える。

2015年08月23日(日)


【思ったこと】
150823(日)『嫌われる勇気』(43)「関係フレーム理論」、「ACT」との比較(2)

 昨日の続き。

 「自らの」と「価値」を「関係フレーム理論」、「ACT(アクト)」の枠組みで理解するためには、少なくとも、
  • 機能的文脈主義とは何か?
  • 言語行動
  • ルール支配行動
についての前提をふまえておく必要があるが、これは別の機会に論じることとし、ここでは、『嫌われる勇気』と比較対照するために、いくつかの解説書から関連部分を抜き書きし、比較対照の資料としておくことにとどめたい。

 私が拝読した以下の4冊:
  • トールネケ(2013、武藤・熊野監訳)『関係フレーム理論(RFT)をまなぶ:言語行動理論・ACT入門 』
  • ハリス(2012、武藤監訳)『よくわかるACT:明日からつかえるACT入門』星和書店
  • ヘイズ他(2014、三田村・大月監訳).『アクセプタンス&コミットメント・セラピー(ACT) 第2版-マインドフルネスな変化のためのプロセスと実践‐』星和書店
  • 武藤崇編著(2006)『アクセプタンス&コミットメント・セラピ−の文脈 臨床行動分析におけるマインドフルな展開』(絶版
の中では、やはり『よくわかるACT:明日からつかえるACT入門』が、当該の問題についていちばん分かりやすく解説しているように思う。

 まず、ACTは「アクセプタンス&コミットメント・セラピ−」という名の通り、セラピーの1つとして開発されたものではあるが、その目的は必ずしも、マイナスの状態を「正常」に引き戻すものではないと明記されている。
 心理学のモデルのほとんどは、機械論(mechanism)という哲学が基になっている。機械論のモデルでは、マインドを多くの部品からできている機械のように扱う。そして「問題のある」思考や感情は、機械の欠陥部品、あるいは機械構造上の誤りと見なされる。このモデルのねらいは、欠陥部品の修復、交換、除去を行い、機械を正常に機能させることである。【56頁】

 いっぽうACTでは
ACTの姿勢は全く異なる。私たちの目標は、「症状」の緩和や除去ではない。クライエントとクライエントが持つ思考や感情との関係を根本的に変え、好ましくない思考や感情を「症状」と捉えなくてすむようにするのがねらいである。【57〜58頁】

さらに、
マインドフルネスの文脈では、思考や感情は「症状」でも「問題」でも、豊かで充実した生活を送るのを邪魔するものでもない。思考は思考、感情は感情、それ以上でもそれ以下でもないのだ。【59頁】

と記されている。以上の部分は、『嫌われる勇気』で指摘されている、
  • われわれは原因論の住人であり続けるかぎり、一歩も前に進めません。【28頁】
  • 原因論に立脚する人々、たとえば一般的なカウンセラーや精神科医は、ただ「あなたが苦しんでいるのは、過去のここに原因がある」と指摘するだけ、また「だからあなたは悪く無いのだ」と慰めるだけに終わってしまいます。【29頁】
  • われわれを苦しめる劣等感は「客観的な事実」ではなく、「主観的な解釈」【76頁】

といった点とかなり共通しているようにも思われる。但し、私の理解では、『嫌われる勇気』が、原因論に代わる目的論、課題の分離、共同体感覚という道をめざしているのに対して、ACTやマインドフルネスは、「人間の言語が持つダークサイド」(トールネケ, 2013, 188〜217頁)に注目し、行動の結果のみならず、行動の先行事象に注目しながら文脈を変えることを目ざしているようである。

 不定期ながら次回に続く。