じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
岡大構内では、イチョウ並木の黄葉に加えて、時計台前のアメリカフウ、時計台横と農学部前のカイノキの紅葉が見頃になってきた。例年に比べて今年は、イチョウ、アメリカフウ、ケヤキの紅葉・黄葉が色づきが良いようだ。カイノキは今後の変化しだい。 ちなみに、岡大では6日(金)と7日(土)に岡山大学祭が行われる。今年度は、11月の連休ではなく、平日〜土曜日という変則的な開催となっている。理由は不明だが、日曜日を外したのは、この日に開催される「第1回おかやまマラソ」による混雑を避けたためかと思われる。残念ながら予報では土日の天気は雨模様となっている。 |
【思ったこと】 151104(水)『嫌われる勇気』(65)連続する刹那としての人生(3) 昨日の続き。本書では続いて、「キーネーシス的人生(目的地に到達せんとする人生)」と「エネルゲイア的人生(現実活動的な、ダンスを踊るような人生)が対比されていた【267〜268頁】。キーネーシスというのは、始点と終点がはっきりしており、そこに至る運動では効率性や速やかな達成が望ましいとされる。ここで推奨されているのはもちろん後者であり、「エネルゲイア的始点に立った時、人生はつねに完結している」と見なされ、かつ、「いま、ここを生きない」ことは人生における最大の嘘であると説かれていた【275〜276頁】。 「いま、ここ」を重視するというのは、確かに、過去に引きずられたり、後悔したり、あるいは、将来に不安をいだいたり、目標途上で挫折したり、といった苦悩から脱却できるメリットはあるとは思う。しかし、あくまで文字面だけからの印象になってしまうが、こういうライフスタイルでは、過去や将来のネガティブな側面ばかりでなく、楽しかった思い出や将来の夢といったポジティブな部分もどこかに追いやってしまうような気がする。 例えば旅行の場合、全く初めての絶景に感動するという場合もあるが、昔行ったことのある場所(あるいは昔暮らしていた場所)を再訪して懐かしさに浸るというのは、「いま、ここ」を遙かに上回る楽しみとなることがある。 将来を思い描くということも、受験勉強とかスポーツ大会での優勝といった具体的な目標達成のために頑張るというのであればキーネーシス的かもしれないが、「将来の夢」というのはもっと漠然としたものであり、「こうなりたい」、「こうあったらいいなあ」という方向づけ程度に過ぎない場合もある。原生動物のように無方向に動き回るよりは、一定の方向をめざして努力とステップごとの達成を繰り返すことのほうが前向きでアクティブな人生が実現できるようにも思う。 不定期ながら、次回に続く。 |