じぶん更新日記

1997年5月6日開設
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 時計台前のクロガネモチの赤い実。今年は、剪定の影響で、実の数が少ない。昨年(といっても2015年1月)の写真が楽天版にあり。

2015年12月25日(金)


【思ったこと】
151225(金)「サリーとアン課題」からの連想(4)いくつかの疑問点

昨日の続き。

 連載の最後に、「サリーとアン課題」を初めとした「心の理論」をめぐるいくつかの疑問点にふれておきたい。

 まずウィキペディアに記されているとおり、
もともと、霊長類研究者のデイヴィッド・プレマックとガイ・ウッドルフが論文「チンパンジーは心の理論を持つか?」("Does the Chimpanzee Have a "Theory of Mind")において、チンパンジーなどの霊長類が、同種の仲間や他の種の動物が感じ考えていることを推測しているかのような行動をとることに注目し、「心の理論」という機能が働いているからではないかと指摘したことに端を発する。
 ウィキペディアの当該項目には、誤信念課題として、「サリーとアン課題」のほか、「マクシ課題」、「スマーティ課題」などが紹介されている。

 こうした課題を用いることについては、さまざまな議論があるが、私自身は次のように受け止めている。

 まず、言語的教示を用いた課題では、言葉そのものへの理解が前提となる。ネット上でいくつか公開されている英語版の「サリーとアン課題」の動画などは、英語が苦手の人には何をやっているのか分からない、当然正解も出せないという問題がある。

 第2に、他人の行動を予測するためには、必ずしも他人にも心が宿っているという前提は必要ないという議論がある。というか「心」の定義が曖昧であると、一人歩きする恐れがあるようにも思う。例えば、麻雀で自分に有利にゲームを進めるためには、それぞれの参加者が手の内を読み、さらには、それぞれの参加者がどういう情報を活用しているのか、どういう手は読まれにくいのかを推測することが必要となる。しかし、それができたからといって、相手の心を理解しているというわけでもあるまい。じっさい、こうしたゲームはコンピュータ相手でもできる。このレベルで「相手の心を読める」とするなら、コンピュータにも心があると見なす必要がある。

 第3は、こちらの論文で論じられているような、より本質的な問題である。リトマス試験紙として利用することの問題もあるが、一番の問題は、誤信念課題では社会性障害は説明できないという点ではないかと思う。他者が知り得る情報と知り得ない情報を明確に区別できる人でも、他者の感情を推し量ることはできないかもしれない。といって、「こんなこと言ったら相手に嫌われるのではないか? 相手を傷つけるのではないか?」などというようにあまりにも気にしすぎると、他者との接触ができなくなってしまい、引きこもりになってしまう恐れもある。

 ということで、発達心理学の研究の一例として紹介する程度であればよいが、過大に扱わないよう配慮する必要もあるように思う。