じぶん更新日記

1997年5月6日開設
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 1月31日の日の出。国立天文台によると、この日の岡山の日の出時刻は7時04分。2月5日には7時ジャストとなり、以後6時台、3月27日以降は5時台というように急速に早くなっていく。

2016年01月30日(土)


【思ったこと】
160130(土)漫画家の人生の終わり方

 1月30日にBSジャパンで放送された『トキワ荘の青春』を録画再生で観た。

 ウィキペディアの当該項目に記されているように、この映画は寺田ヒロオ氏を主人公として、売れっ子漫画家となった石森章太郎、藤子不二雄らと、中々芽が出ない赤塚不二夫・森安なおやらの苦闘が描かれていた。

 トキワ荘については、だいぶ以前(ネットで調べたところ1981年放送。但し私が視たのはかなりあとになってからの再放送)、NHK特集で取り上げられていたこともあり、住人たちの近況はある程度は存じ上げていたが、その後さらに月日が流れ、どなたがご存命で、どなたがお亡くなりになっているのかも知らないままであった。

 今回改めてネットで検索したところ、寺田ヒロオ氏は、1992年9月24日に61歳でお亡くなりになっていた。リンク先には、
晩年は一人離れに住み、母屋に住む家族とも顔を合わせることはなかった。朝から酒を飲み、妻が食事を日に3度届ける生活を続けていたが、朝食が手つかずで置かれたままになっているのを不審に思い、部屋の中に入ったところ、既に息絶えているのが発見された。妻は晩年の寺田について「身体が悪くなって、病院に行ってくれと頼んでも、行こうとしないんです。色々手を尽くして、あきらめました。この人は、もう死にたいんだなって…」と、ただ見守るしかなかった状況を語っている。
と記されていた。不本意な孤独死ではなく、ご自身で納得された終わり方であったとは思うが、いま63歳の私から見れば何とも早すぎる最期であった。

 森安なおや氏は1999年に64歳で急性心不全のためお亡くなりになっている。「2日後に別居中の妻により遺体が発見された。」とあるので、孤独死であったと言える。

 トキワ荘の住人赤塚不二夫氏については、以前、テレビで晩年の映像を拝見したことがあったが、四六時中、酒やタバコから手が離れず、何ともお気の毒な状態に見えた。赤塚氏は2008年に72歳でお亡くなりになっているが、2002年頃からは闘病生活が続き、2004年からは意識不明のまま植物状態にあったということで、健康寿命は60歳代半ばであったと推定される。

 トキワ荘住人で最大の売れっ子で、一人の著者による最も多い漫画の出版の記録保持者としてギネスに登録されているという石ノ森章太郎氏は、1998年1月28日に60歳でお亡くなりになっている。死因はリンパ腫による心不全ということだが、60歳というのはあまりにも若い。やはり職業上のストレスや過労が遠因にあったのだろうか。

 ドラえもんの作者として知られる藤子・F・不二雄(藤本弘)氏も62歳という若さでお亡くなりになっている。リンク先には、
1996年(平成8年)9月20日、家族が夕飯の準備を告げるといつものように仕事部屋から返事があった。だがいつまで経っても食卓にやって来なかったので娘が仕事場へ呼びに行ったところ、机に向かったまま意識を失っているところを発見した。『ドラえもん のび太のねじ巻き都市冒険記』の62頁目を描いている途中で、発見されたときは鉛筆を握ったままだったという。そのまま病院に搬送されたが、意識が回復することなく3日後の9月23日午前2時10分にその生涯を閉じた。62歳没。死因は肝不全であった。
と記されていた。死因は肝不全となっているが、別の箇所に、1986年に胃癌が見つかり、さらに1992年に肝臓癌が見つかったとされている。ベレー帽とパイプがトレードマークであったが、喫煙については、「癌を発症した晩年に医者から禁煙を命じられ、禁煙パイポを使っていたこともあった」と記されている。

 もっとも、同じ漫画家でも、94歳でお亡くなりになったやなせたかし氏、や93歳でお亡くなりになった水木しげる氏のように、日本人の平均寿命より遙かに長生きされた漫画家もおられる。しかもこのお二人は晩年まで多くの人たちから慕われ注目され、末広がりの人生を全うされた。

 トキワ荘の住人の藤子不二雄コンビのお一人、藤子不二雄A(安孫子素雄)氏も81歳でお元気に活動されている。過酷で不摂生な執筆生活を続けられてもご長命という漫画家は他にもおられるようだ。