じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
2月7日(日)早朝の月齢27.8の月と水星と金星。この日は旧暦の大晦日にあたる。通常、新月の前日の月を眺めるのは困難であるが、今年は、新月の瞬間が2月8日(月)の23時39分というように深夜にずれ込んでいるため、太陽からはまだまだ離れていた。 水星のほうはこの日の10時24分に西方最大離角となる。 また、日の出のあと、太陽柱のような光の柱が見えていた【写真下】。 |
【小さな話題】 高梨沙羅選手のすごいジャンプ オーストリアで行われたスキー・ジャンプ女子のワールドカップ第11戦で、高梨沙羅選手が優勝。今シーズンはこれでワールドカップ9連勝で、10勝目となった。高梨選手この日もただ一人、2回とも90メートルを超えて他の選手に圧倒的な差をつけた。 各種スポーツの中でもジャンプは私の好きな競技であり、今回も、2/6の20時55分からの中継を録画予約しておいた。他の競技もそうだが、とりわけジャンプの場合は、結果を知ってしまってから見ても面白くない。テレビやネットニュースなどは事前に見ないようにして、録画再生を楽しんでいる。 徹子の部屋「永六輔・大橋巨泉」 2月4日に放送された、テレビ朝日系の表記の番組を録画再生で視た。ふだんこの番組は全く視ていないが、数日前にたまたま地デジの番組表を眺めていて、このお二人のお名前が目にとまったので録画予約した次第。 リンク先のお写真にもあるように、永六輔さんはパーキンソン病を患っておられ、この日も車椅子で登場、お口は開いたままで、言葉は少なかった。大橋巨泉さんのほうは、「昨年がんの手術後、腸閉塞を患い体重が一時は48キロまで激減。本来ならテレビ出演も辞退するところだったが「永さんと黒柳さんのお呼びとあれば!」とお祝いに駆けつけてくれた。 」とのことで、お顔も手の甲のあたりも激痩せのご様子であった。【こちらに参考情報あり。】 ネットで検索したところ、永六輔さんは1933年4月10日生まれ、大橋巨泉さんは1934年3月22日生まれ、黒柳徹子さんは1933年8月9日生まれ、というから、1933年度の同学年ということになる。 私にとっては、大橋巨泉さんは、中学生の頃に聴いていた深夜ラジオ「プレイボーイクラブ」、その後の「11PM」、「クイズダービー」、「巨泉のこんなモノいらない!?」など、お馴染みの司会者。黒柳徹子さんのほうもラジオのヤン坊ニン坊トン坊以来で、私が子どもの時からのお馴染みである。永六輔さんは、テレビではあまり拝見したことが無かったが、上を向いて歩こうの作詞や数々の御著書を通じて存じ上げている。 同じ学年のお三方とはいえ、いまでも現役バリバリの黒柳さんと、男性お二人ではあまりにもご様子が違い過ぎていた。健康寿命の男女差というのもあるだろうが、私自身も20年後、黒柳さんレベルの健康を保ちたいものである。 |