じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 4月2日は岡大の入学式が行われた。大学構内は各所で桜が満開となり、お花見を兼ねたオリエンテーションが行われた。

2016年04月02日(土)


【思ったこと】
160402(土)行動分析学における自己概念と視点取得(16)自然科学における私的な出来事(7)私的出来事を他者に伝えることの有用性

 昨日の続き。

 私的出来事を他者に伝えることには、単に「○○を見ている」というような行動報告から、社会心理学などで研究されている自己開示のような行動まで、さまざまな内容があるが、いずれも、話し手と聞き手の双方にとって何らかのメリットが無ければ、それらの行動が強化されることはない。

 「○○が出現した」というような客観表現としてのタクトと、「私は○○を見ている」という私的出来事の表明は明らかに異なっている。単に外界の情報を得るだけであるなら「○○が出現した」で十分のはず。「私は○○を見ている」という表明が他者にとってより有用になるのはなぜだろうか。このことに関してSkinner(1953)は以下のように述べている。
When a man says, "There is a rainbow in the sky" or "The clock is striking twelve," we can give a reasonable interpretation of his behavior in terms of a stimulating situation and certain characteristic conditioning procedures with which the community has set up verbal responses. But if he says, "I see a rainbow in the sky" or "I hear the clock striking twelve," additional terms have to be taken into account. Their importance is easily demonstrated. The group usually benefits when an individual responds verbally to events with which he alone is in contact. In so doing, he broadens the environment of those who hear him. But it is also important that he report the conditions under which he is responding. In so doing he reveals, so to speak, the "source of his information." 【原書、264頁】
「空に虹がかかっている」とか「時計が12時の時報を打っている」と言う場合、コミュニティが言語的な反応を作り上げてきた刺激事態と一定の条件づけの手続きとによって、その行動に合理的な解釈を与えることができる。しかし、彼が「私は空に虹を見る」とか「私は時計が12時の時報を打つのを聞く」と言うならば、付加的なその用語について説明が加えられなければならない。その重要性について簡単に例示しよう。ある個人が、彼だけに関している出来事に言語的に反応する場合、集団は利益を得るのが普通である。彼が言語的に反応するとき、彼の話を聞いてくれる環境を広げている。しかし、彼が反応しているときの条件を彼が報告することもまた重要である。報告の場合、話すことで彼は“情報源”を明らかにしている。【翻訳書、314頁】
 ここからは私の考えになるが、集団で行動することで環境に適応してきた人間の場合、他者がどういう状態にあるのかということはその集団全体にとって有益な情報となる。誰かが「私はくたびれている」と言った時、無理に作業を続けると、けっきょくはチームワークに悪影響が出てくる。この場合、集団全体、あるいはその発言者のみに休憩をとらせるというように対処するだろう。

 情報源を明確にすることは、しばしば情報の信頼性の手がかりにもなる。「私はオオカミを見た」という表明は、視力のすぐれた狩人が発した場合と、イソップの寓話に出てくる羊飼いの少年が発した場合では信頼性が異なる。

 次回に続く。