じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 生協食堂入口付近には6月下旬から七夕の笹飾りが設置され、願い事を書いた短冊が次々と取り付けられていた。7月7日時点では、マスカットユニオン入口に3本、ピオーネに1本が設置されていたが、7月8日の午前中にすべて撤去されていた。ウィキペディアの該当項目では「笹を7月6日に飾り、さらに海岸地域では翌7日未明に海に流すことが一般的な風習である。」とされているが、撤去された笹がどうなったのかは不明。ちなみに短冊の願い事は、個人的かつ具体的な要望を記したものが多く、「世界平和」や「人類全体の幸福」が記されたものはあまり見当たらなかった。

2016年07月08日(金)


【思ったこと】
160708(金)トールネケ『関係フレーム理論(RFT)をまなぶ』(64)派生的関係反応(36)まとめ

 昨日の続きで、第4章の最終回。

 原書88〜89頁(翻訳書123〜125頁)の第4章「まとめ」部分には、関係フレーム理論の本質に関わる重要な記述がある。この部分をしっかり理解しておかないと、その先の展開や応用に進むことは困難ではないかと思われる。

 まずは、レスポンデント条件づけやオペラント条件づけといった非恣意的な関係との対比である。
 For humans, this behavior changes the possibilities for learning in a crucial way, allowing us to manipulate stimulus functions in a way that would not be possible if stimulus functions were solely dependent on nonarbitrary relations or contingencies between stimuli. Once derived relational respond ing is learned and exhibited, stimulus functions can be changed in a moment through these responses.
 人間にとって,この行動は,学習の可能性を決定的な仕方で変える。つまり,それは,刺激機能が刺激間の非恣意的関係,あるいは随伴性によってのみ決まるものであった場合には不可能な仕方で,刺激機能を操作することを可能にする。ひとたび派生的関係反応が学習されて示されると,刺激機能は,これらの反応を通じて,瞬時に変わり得る。
 これまで、人間と人間以外の動物との違いについて様々なことが語られてきたが、本質的な違いはおそらくこのことにある。人間と他の動物の知能の差違もおそらくこの部分にある。例えばチンパンジーの短期記憶の能力は大学生以上であると言えるほど優れているが、恣意的な関係学習ができる範囲はきわめて限られている。どちらが知能が高いかというような量的な差というよりも、関係づけの能力が違いをもたらしていると言うべきであろう。近年、ディープ・ラーニングに基づく人工知能の開発がめざましい発展を遂げているが、これまた、オペラント条件づけ型の学習に加えて、恣意的な関係づけを可能にするRFTの原理を取り込むことができれば、より柔軟で創造的、かつ時には「思い悩む」ようなロボットを創り出すことができるかもしれない。

 もう一点、この「まとめ」の最後のところでは思考についての重要な記述がある。
From the viewpoint of radical behaviorism and RFT, what we usually call thinking is not a behavior in a class by itself. Thinking is not seen as some thing that takes place in a mental world. Neither is it seen as something that follows principles other than those of any outwardly observable behavior. As I described in chapter 2, thinking is simply verbal behavior performed in such a way that the only possible observer is the person who is performing it - the person doing the thinking. That definition stands. The power of thinking, then, is in the power of relational framing. Based on what we first learn fromour social environment according to the principles described in chapter 2, it is possible for the individual to gradually perform this same behavior silently to herself. The increased flexibility that is added to human behavior in general by arbitrarily applicable relational responding also allows an increased flexibility in private behavior. The power of thinking lies precisely in this ability to relate anything to just about anything else.
徹底的行動主義とRFTの視点からは,私たちがいつも思考と呼ぶものは,単独の行動のクラスではない。思考を,精神的な世界の中で起こる何かとはみなさない。また,外から観察可能な行動に対する原理とは異なる原理に従う何かともみなさない。第2章で説明したように,思考とは,単に,言語行動が,それを行っでいる人,つまり,思考しでいる人にしか観察できないような仕方で行われたものである。この定義は変わらない。そうであれば,思考の力は,関係フレームづけの力の中にある。私たちが第2章で説明した原理に従って,社会的環境から最初に学習する事柄に基づいて,個人が,次第にそれと同じ行動を声に出さずに,自分自身に対してできるようになる。恣意的に適用可能な関係反応によって人間の行動全般に付け加えられた柔軟性の高まりは,私たちの私的行動の柔軟性も高めることになる。思考の力は,まさに,あらゆるものを,ほかのどのようなものにでも関係づけることのできる,この能力の中にこそある。
 ということで、昨日取り上げた「言語行動の新定義」、そして、上掲の「人間と人間以外の動物との違い」、「思考とは何か」は、RFTの本質を特徴づけるものと言える。本書はこのあと主として臨床的な課題が取り上げられることになるが、RFT自体は、そればかりでなく、発達心理学、言語心理学、思考心理学、知能、パーソナリティなどの諸領域の発展にも大きく貢献できる可能性があるように思う。

 次回に続く。