じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 12月7日の朝、霧の風景を撮るために津島北キャンパスの北東端にある環境理工学部付近に立ち寄ってみた。写真上2枚は誕生池付近。残念ながら霧のほうは消えかかっていたが、里山を借景とした自然豊かな光景を眺めることができた。写真下は、環境理工学部入口に掲示されていた「ポケモンGO自粛」を呼びかけるポスター。ちなみに、文法経3学部ではこのような掲示は張り出されていない。
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2016年12月7日(水)



【思ったこと】
161207(水)関係反応についての講義メモ(25)手続的定義と機能的定義(2)

 昨日の日記で取り上げた、手続的定義と機能的定義(制御変数的定義)の区別は、弁別刺激だけでなく、強化刺激や(レスポンデント条件づけにおける)条件刺激などにも拡張可能であり、結局、刺激をどう定義するかという議論に拡張されるように思われる。

 例えば、町内会でラジオ体操を毎日行うと決めたとする。一ヶ月皆勤した子どもにご褒美として文房具セット(ノート、鉛筆、消しゴム、定規などのセット)を配布したとする。その結果、ラジオ体操に参加する子どもの数が増えたとすれば、文房具セットは好子としてラジオ体操参加行動を強化したと結論することができる。この場合の「文房具セット」というのは、町内会が手続的に定義したパッケージとしての好子であり、それぞれの子どもたちにとっては、その袋に入れられていたノートだけが好子になっていたり、消しゴムだけが好子になっていたり、あるいは、おまけに付けられていたカードが好子になっていたり、というように個々バラバラであったかもしれない【それぞれの子どもにおいて文房具のうちのどれが好子になっていたのかが判明すれば、好子は制御変数的に同定できたと言える】。しかし、町内会としては、とにかく、文房具セットの配布で参加率がアップしたことが確認できれば、少なくとも当初の目論見は成功したと言うこともできるだろう。

 レスポンデント条件づけにおける条件刺激の場合も同様である。動物園の檻の中で飼育されている動物が、餌の時刻になるとヨダレを流すとする。この場合、同じ種類の動物であっても、飼育員の姿を見てヨダレを出す個体と、飼育員がドアを開ける音を聞いてヨダレを出す個体、飼育員の声に反応する個体、などが居るかもしれない。しかし、これらを刺激のパッケージとして、「動物たちにとっては、飼育員が到着した時の一連の刺激は条件刺激となっている」と言うこともできる。

 もとの話題に戻るが、佐藤(2007)の「行動分析学の目標は、行動の制御変数を同定することであり、弁別刺激は主要な制御変数の一つであるから、機能的弁別刺激がより重要であることは言を俟たないであろう。」という主張はその通りだとは思う。しかし、制御変数の同定は実験や観察といった詳細な分析を通じて、後になってから判明するものである。場合によっては、永遠に同定できないかもしれないし、同じ個体においても文脈に依存して常に変動する可能性がある。

 さらに言えば、環境刺激というのは独立した要素の集合ではなくて、相互に影響しあい、アプリオリに分離することはできないことが多い。我々が刺激と呼ぶのは、通常、そうした連続体の中から、我々の感覚器官で弁別可能差違に基づいたり、操作可能な部分を抜き取って、予測と影響に有効になるように秩序づけることと言える。であるからして、いくら機能的定義(制御変数的定義)とは言っても、客観的で唯一無二の制御変数を発見するということではなく、予測と影響により有効であるような形で、環境刺激の一部をまとめ上げることが課題となるように思われる。

 動物の行動をコントロールしたり、ある時代のある場所で望ましい行動を増やすための働きかけを行うといった場合は、あくまで、実行可能な刺激操作のもとで、介入とその効果の検証をしていくほかはあるまいとも思う。機能的定義というのは、実際に行動を観察して初めて確定するものであるからして、検証を始める出発点においては手続的定義に頼らざるを得ない事情があることも否定できないとは思う。

 いずれにせよ、実験的分析による検証というのは、手続的定義によって変数を操作し、偶然とは言いがたい影響を確認することにある。そのロジックはあくまで「この一連の手続は有効であった」であって、この「一連の手続は最善の効果をもたらした」ではないし、「この一連の手続は、この影響をもたらすための必要十分条件であった」ということは永久に検証できない。有効性を高めるためには、不要な部分をそぎ取ったり、新たな手続を付加したりして、改善工夫を重ねていくことしかできないのである。

 次回に続く。