じぶん更新日記

1997年5月6日開設
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 真冬の芝地に咲くタンポポ。最近よく見かける外来種のタンポポ(セイヨウタンポポの変種と思われる)は真冬でも花を咲かせ綿毛を飛ばしている。その逞しさには敬意を表するが、在来種が駆逐されないかどうか心配。

2017年1月11日(水)




【思ったこと】
160111(水)二人称や三人称の苦悩(1)

 1年次生向けの入門演習で、「あらゆる苦悩はどこから来るか」という話をさせていただいた。

 「苦悩」というのは普通、一人称で語られる苦悩が殆どを占めている。具体的には、自分の過去についての後悔、現在の自分についてのネガティブな評価、現在の人間関係、自分の将来についての不安などが含まれている。一般読者向けの関連書でも、そうした苦悩をどう解決するか(コントロールするか、アクセプトするか...)といった点に焦点が当てられている。このことに関してふと思ったが、二人称や三人称の苦悩というのは本質的にありうるのだろうか。その場合、一人称の苦悩とどう関わってくるのだろうか。

 ここでいう二人称や三人称の苦悩とは、例えば、
  • 自分の親や配偶者やきょうだいや親友の健康上の悩み
  • 自分の子どもの非行とか、将来についての不安
などが挙げられる。さらには、
  • 人類の将来についての不安
  • 地球環境の将来についての不安
などもあるが、宗教の教祖でも無い限り、全人類の苦悩を背負うというような人はおるまい。

 他者の気持ちを理解し、他者の立場にたって一緒に問題を解決しようとすること自体は望ましいと考えられるが、あまり極端になると共依存に陥ることがある。また、子どもの将来への不安から無理心中に至るという事件を耳にすることもある。

 問題は、そのような望ましくない状態に陥っている人に対して、どのようなサポート、セラピーができるかという点にある。いちばんシンプルなのは「これは他者の課題だ」、「よそ事だ」として関わりを断ってしまうことだが、それでは人間関係自体も断ち切られてしまう。

 次回に続く。