【思ったこと】 170127(金)ACTの価値論(3)継統的な行動が持つ包括的な性質
昨日に続いて、ハリス(2012)の第11章「何が大切かを知る」についての考察。
321頁以下の「3つの要素」:
- 継続的な行動:価値とは「継続的な行動」に関するものである。
- 包括的な性質:価値は,継統的な行動が持つ包括的な性質に関するものである。
- 望ましい:価値とは,継続的な行動に「望ましい」性質である。
のうち、2.の「継統的な行動が持つ包括的な性質」については以下のような例が挙げられていた。【長谷川により改変】
- あなたが野球をしたいと思っているとしよう。「野球をすること」は, 毎日の生活の中で「する」ことができる。だから,継続的な行動とは言えるが,行動の性質ではない。
- この点を明らかにするために,「野球をする」という継続的な行動に対して考えられる,いくつかの性質を挙げてみょう。上手に野球をする,下手に野球をする,元気いっぱい野球をする,やる気なく野球をする,の4 つである。では「包括的な」性質とは,どういう意味だろうか。ここで指しているのは,その行動に含まれる多くの異なる要素を「1つにまとめる」性質である。例えば,もしあなたの価値が,自分のチームの他のプレイヤーを「援助する」ことだとしたら,あなたは「援助する」という性質に基づいて,さまざまな行動をとることができる。あるいは,価値が「フェアである(公正である)」ことだとしたら,さまざまな「フェアな」性質に基づいて行動することができる。
- あなたの野球をすることに関する価値に到達するために,私は次のような質問をする。「どのように野球をしたいですか?」「試合の間,どんな人間的性質や強みを示したいですか?」「自分のチームの仲間に対して,また,相手チームの選手に対して,どのように振る舞いたいですか?」。このように聞くことで,集中する、競争意識を持つ,一生懸命取り組む,敬意を表する,仲間と協力する,フェアでいる,最善を尽くすといった価値が見えてくるだろう。
- そして,こうした行動の性質は,いつどんな時でもあなたの手の届くところに存在している。たとえ,下半身マヒになって二度と野球ができなくなったとしても,集中し,競争意識を持ち,他者を尊重し,他者と協カし,フェアであることができる。
- 自分の今の行動に一生懸命取り組み,「最善を尽くすこと」ができる。体に障害があったとしても,それでもなお,自分の求めるやり方に従って行動できるのである。
昨日も述べたように、スキナーは「幸福は、好子出現の随伴性で強化されながら行動している中にある」と指摘していた。これに対して、上記の「包括的な性質」論では、単に行動が強化されているだけでは不十分であり、当該の行動がある種の性質によって洗練されたり連関したりといった一定の性質を保持しながら継続していくことが重視されている。この考えに立てば、歳をとって寝たきりになって、若い時から続けてきた行動が困難になったとしても、包括的な性質は保つことができそうだ。
次回に続く。
|