じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 教育学部構内に、いまだに緑色の葉をつけている広葉樹がある。葉っぱの形や樹皮からモミジバフウ(アメリカフウ)ではないかと思われるが、氷点下の最低気温が続く中でなぜ紅葉&落葉しないのか大きな謎である。岡大七不思議の1つとしておきたい。

2017年1月30日(月)




【思ったこと】
170130(月)ACTの価値論(6)価値vs.ゴール(2)

 昨日の日記で、「価値とゴール」に関連して、「目的」や「目標」について述べたが、これらの区別については翻訳書の中でも若干の混同があるように見受けられる。ハリス(2015)の、

『幸福になりたいなら幸福になろうとしてはいけない マインドフルネスから生まれた心理療法ACT入門』(岩下慶一訳、筑摩書房、1700円)

の205頁には
 価値と目的を混同しないことは大切だ。価値は私たちが目指す方向であり、終わりのない進化のプロセスだ。愛に満ちた気遣いのあるパートナーになることは価値のひとつだ。それはあなたの人生における終わることのないプロセスだろう。愛と気遣いを止めた瞬間、もはやその価値に沿っては生きていけないことになる。
 一方、目標は望んでいる成果であり、達成可能なものである。たとえば結婚することは一つの目標だ。達成されればそれで終了であり、目標リストの中から消去される。結婚してしまえば、愛情深く優しかろうと、冷たくぶっきらぼうであろうと、あなたは既婚者だ。
 価値とは、西を目指して旅するようなものだ。どこまで行こうと西はさらに向こうまで広がっている。一方、目標は山や川のようなものだ。そこに行ってしまえば、それで目標達成なのだ。 より良い仕事に就きたいというのも目標だ。仕事を得たら目標は達成だ。しかし、全力で仕事がしたい、仕事に没頭したいなどの望みは、価値からくるものだ。
という文章がある。この翻訳書では「ゴール」という言葉の代わりに「目的」あるいは「目標」を使っているが、上掲の第一段落では「目的」、第二段落以下では「目標」が同じ意味で使われており、「目的」と「目標」を厳密に区別すべきだと考えている人にとっては混乱をきたす恐れがある。

 また、上掲書の206頁では、ヴィクトール・フランクル『夜と霧』に言及されているが、この部分の第一段落と第二段落は、「価値」ではなく「目的」の重要性を説いているようにも見える。
 興味深いのは、死の収容所でもっとも長く生き延びた人々は、肉体的に健康な人々ではなく、人生の目的としっかりつながった人々だったことだ。自分が価値を置くものとつながっている人々、つまり子供たちへの愛情や、書きたい本などがある人々は、これらのつながりに生きる目的、あらゆる苦痛に耐え忍ぶだけの価値を見いだしていた。価値とつながっていなかった人々はすぐに生きる意欲を失った。
 フランクルの目的意識はいくつかあった。彼は愛する妻に深い価値を置いており、生き延びていつの日か再び彼女に会うのだという強い意志を持っていた。しばしば彼は、雪の中の厳しい仕事のシフトの中で、凍傷から来る足の苦痛と、ひどく殴打されたことによる体の痛みに苦しみながら、妻の姿を心に呼び起こし、彼女をどれだけ愛しているかを考えた。愛の感覚はフランクルを持ちこたえさせるに十分だった。
 フランクルのもう一つの価値は、他者を助けることだった。彼はキャンプにいる間、他の囚人が苦痛に対処するのを手助けした。彼らの苦悩に熱心に耳を傾け、優しさと創造性に満ちた言葉を投げかけ、病や死の床にある人々の世話をした。特筆すべきは、人々が心の奥深くにある価値とつながることを助け、人生の意義、目的を見つけられるようにしたことだ。これによって人々は生き延びる強さを得た。フリードリヒ・ニーチェが言ったように、「生きる意味を見出した人は、大抵のことは耐えられる」のだ。


次回に続く。