じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



02月のインデックスへ戻る
最新版へ戻る


 生協マスカットユニオン(北福利施設)3階の窓から眺めるアメリカフウ。建物北側にあって日当たりが悪いため紅葉はイマイチだが、落葉後の実をつけた様子はなかなか趣がある。

2017年2月4日(土)




【思ったこと】
170204(土)「お金について」の補足

 教養教育科目の「行動分析学入門2」のまとめのところで、お金について話をさせていただいたが、プロジェクター故障のため時間内に話をまとめることができなかった。ここで少し補足しておきたい。

 まず、現代の資本主義社会において、お金が強力な般性習得性好子となっていることは間違いない。人々は多くの場合、お金によって強化されている。世間から完全に隔離された山奥で自給自足の生活を行わない限りは、お金なしで生活することはできない。

 問題は、なぜお金が般性習得性好子として機能しているのかという点にある。2017年7月18日の日記2013年3月30日の日記を合わせて参照】に述べたように、現代社会でお金が般性習得性好子として機能するということは、お金が「お金とは、自分のために他人を動かすツール」として機能するということとほぼ同義となる必要がある。リンク先にも述べたが、仮に国民全員に1人あたり1億円を支給したとしても、贅沢な生活が実現できるわけではない。その1億円はただの紙切れになるだけで、国民の生活水準は何ら改善されないだろう。今の世の中で大金持ちが贅沢に暮らしているのは、その国の制度によって、お金が、
  • 限られた資源(食物、土地、建物、道具など)のうちの一部を占有できるという機能。
  • 他人からサービスを受けるための契約書としての機能。これも、ある意味では、相手の生活時間の一部を自分のために占有する、という機能。
を維持しているからにほかならない。それでもって、より多くの資源を占有した人は、身の回りに豪華なモノを取り揃えることができるだけでなく、より多くのサービスを他者から受けられるようになる。これが贅沢な暮らしの本質である。

 こうした制度が人類にとって最善であるのかどうかは何とも言えない。リンク先にも述べたように、かつて人類は、力ずくの争いもって、資源を奪い取り、また、他者を奴隷とすることで、上記の機能を確保しようとしてきた。しかし、それでは権力者や貴族など、一部の支配層しか幸せになれない。そこでいろいろな争いを経て、一時代前には共産主義国家を作ろうという動きもあったが、これまた、人類のサガは変えられないというところもあって、一部の権力者だけを利する結果、あるいは生産性や向上を阻害する結果を招いてしまった。そういう中で、現時点で最善のシステムとして採用されているのが、私有財産制+資本主義社会ということになる。

 冒頭にも述べたように、世間から完全に隔離された山奥で自給自足の生活を行わない限りは、お金なしで生活することはできない。お金とは無縁のように見える芸術家であっても、衣食住の確保のほかアトリエや画材を購入するためにはお金が必要である。そのためには作品が高く売れなければならないが、「高く売れる」ということは「高く買う」人がいて成り立つものであり、それは、資源を占有して生活にゆとりのある人が存在して初めて可能となる。

 生産手段の機械化が進めば、労働時間が減り、人々の暮らしは楽になるだろう。といっても、その恩恵を受けられるのは生産手段を占有している一部の金持ちに限られるかもしれない。残された人たちはむしろ機械化によって失業し路頭に迷うかもしれない。

 先進国や資源国が生産手段や資源を占有すれば、その分、新興国や非資源国の国民は、外国のためにサービスを提供しなければ生活できなくなってしまう。これが先進国における外国人労働者の受け入れ、あるいは低賃金の国での部品生産につながる。もちろん、それによって新興国の国民の生活水準は向上するが、よほどのことがないと先進国に追いつくことはできない。この状態はこれから先も何百年と続くことだろう。

 格差社会の弊害を緩和するためには、税制改革や社会福祉制度の充実のほか、地域での互助互酬のしくみを活発にする必要がある。もともと地域通貨は、法定通貨の機能の一部(貯蓄や交換価値など)を制限して互助互酬を活発化する狙いがあったと理解している。とはいえ、「お金=人を動かすツール」が不変である限りは、互助互酬には限界があり、このことが地域通貨がうまく機能しない根本原因にもなっている。

 このほか恩送りという考え方にも目を向ける必要があるが、これはまた別の機会に。