じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
|
農学部農場の梅の花。いろいろな品種があり、開花時期もずれている。今年は、全く花をつけていない樹もあり(←枯れてしまった?)、やや寂しい花見となった。 |
【思ったこと】170226(日)オドノヒュー&ファーガソン『スキナーの心理学』(11)第3章スキナーの背景(5)マッハ(2) 昨日取り上げた「マッハが影響を与えた論点」のうち、原因に関する記述についてもう少し考えてみたい。まず、関連部分を原書の英文とともに抜粋する。【長谷川による要約、改変あり。】
上記の記述、あるいは本書の関連記述を素直に受け入れると、科学の目的は、量的なデータを丹念に集めた上で、y=f(x)というような関数関係の発見と定数の精緻化にあるように思ってしまう。じっさい、私が学部卒論の頃に取り組んでいた「対応法則(matching law;Hernstein, 1961)」に関する議論の中では、関数の型や定数項についての研究が少なからずあったように思うが、私自身は、大学院進学後はその方面の研究には興味を失い、別の課題に取り組むようになった。理由は、いくら関数式を精緻化しても、そのこと自体が何かに役立つとは到底考えられなかったからである。また、長谷川(1998)が、 ...いくら独立変数の他を細切れに設定したとしても、その隙聞の部分で従属変数がどのような値をとるか、つまり直線的に変化するか三角関数のように揺れ動くかといった可能性は無数にある。関数の質について何らかの理論的裏付けがない限りは、笑験データだけから帰納的に関数関係を決定することは原理的に不可能でレあると言わねばならない。という根本的な問題がある。 ということで、「functional relationships」は量的に精緻化された「関数関係」というよりも、行動と、それに増減に影響を及ぼす環境変数との「機能的関係」を明確にすることを研究の目的とすべきであるというのが私の考え。じっさい、本書の「In fact, in applied behavior analysis, an important part of understanding what causes an organism's behavior is conducting a functional analysis. 」という部分は、翻訳書では「応用行動分析では、何が生活体の行動の原因であるかを理解する重要な部分は機能分析だとしている。」となっていて、「functional analysis」は「関数分析」ではなく「機能分析」と訳されている。「機能分析」では、量的な関数関係ではなく、どのような要因が影響を及ぼしているのかといった「質的」な探索が重要となる。もちろんある程度の量的関係は明らかにする必要があるが、せいぜい、
次回に続く。 |