じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
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岡大構内では桜の花が見頃を迎えているが(楽天版参照)、桃の花も見逃せない。写真左は、野球場脇にある3色の桃。赤い花はそろそろ終わったが、ピンク色が見頃となっており、また花数は少ないがその後ろで白花が咲いている。 写真右は文学部西出入口脇にある八重の花桃。 |
【思ったこと】170407(金)関係フレーム理論をめぐる議論(5) 4月5日の日記でも述べたが、派生的関係反応や刺激機能の変換に関する実験的証拠、日常のエピソードと、臨床場面における深刻な事態との間にはかなりのギャップがあるように見受けられる。 例えば、バッハ・モラン(2009、115頁〜)[※]には以下のような仮想事例が挙げられている。【長谷川による要約・改変】
これらの事例では、「コブラはヘビの一種だと書かれた雑誌記事」、「尊敬する人物がステロイドは役立つと言った」、「親がセックスは汚いものだと言った」、「恋愛関係とは窮屈なものだ」といった、偶然かつ1回限りのエピソードが刺激機能の変換などをもたらし、日常生活に支障となるような回避行動にエスカレートする可能性が指摘されている。しかし、何かを一度だけ耳にしたという程度で行動が劇的に変化するということは現実には極めて稀であろう。しかも、現実には「AはBである」と耳にした直後に、今度は「AはBではない」と言われることもあり、情報が氾濫している現代社会の中で、そのうちの一部だけが偶発的・特異的に影響を及ぼす可能性はきわめて低いようにも思われる。 もちろん、だからこそ、一般社会では、多くの人が、どうにかこうにかして、不適応的な回避行動を一定レベル以下に抑えることに成功しているとも言える。一定レベルを超えた、深刻な状態に陥った人が数パーセント程度であれば、その社会は、セラピストのような専門職を配置することで問題に対処できるだろう。 確率がきわめて低い例として、例えば、強い地震が発生して、ビルのガラスが割れて、破片が通行人にあたり、通行人が大けがをしたというような場合を考えてみよう。こうした事故は、地震の発生確率が数十年に一度であり、さらに、地震の瞬間にそのビルの前を通行する確率がきわめて低いことを考えると、数千分の1程度であるかもしれない。(事故の発生確率ではなく)特定の人がその事故に遭う確率となると遙かに低くなるだろう。そうは言ってもその確率はゼロではなく、かつ、事故防止の方策が確立しているのであれば、耐震工事が行われるはずである。それと似たようなことであると考えれば、上記の1.から4.のような稀にしか起こりえないような事例についても、確率がきわめて低くてあり得ないとは言えないかもしれない。 そうは言っても、関係反応が派生しやすい人とか、刺激機能が変換しやすい人というのはおられるかもしれない。行動分析学はその人に固定的な要因(例えばパーソナリティ)によって個体差を説明することに対しては否定的であるが、過去の体験といった経験的な要因の中から適度にタイプ分けして、それぞれのタイプ別に不適応的な回避を改善する最適な方法を探るということはあってもよいのではないかと思う。 [※]バッハ・モラン(著)武藤崇・吉岡昌子・石川健介・熊野宏昭(監訳)(2009).ACT(アクセプタンス&コミットメント・セラピー)を実践する. 星和書店.【Bach, P.A., & Moran, D. J. (2008). ACT in practice Case conceptualization in Acceptance & Commitment Therapy. Oakland, CA: New Harbinger Publicarions.】 次回に続く。 |