じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 生協食堂(マスカットユニオン3階)から眺める新緑。この食堂からは紅葉を楽しむこともできる。

2017年4月19日(水)



【思ったこと】170419(水)心理パラドックス(1)ラプラスのコイン(1)

 心理学概説の授業でクリティカルシンキングの話題を取り上げることになっている。従来、このテーマではまず、いくつかのクイズに答えてもらっていたが、昨年度の1年次生入門演習で同じ問題を紹介したため、ネタ切れとなっていた。そこで新たなクイズを探していたところ、三浦俊彦先生の『心理パラドックス 錯覚から論理を学ぶ101問』(二見書房)の中に興味深い問題があった。【長谷川により改変・要約】
このコインは、密度の分布がかなり偏っているため、表の出やすさと裏の出やすさとが異なることがわかっている。ただし、コインを見ただけでは表裏どちらが出やすいのかわからない。さて、いま投げたとき、表が出る確率pはいくらだろうか。

答A: p=l/2。理由;表が出やすいか裏が出やすいかどちらかだとはいえ、どちらかわからないのだから、表の出る確率はl/2と判断するしかない。

答B:O≦p≦1かつp≠1/2。理由;偏りがあることがわかっているのだから、表の出る確率は1/2ではありえない。

ラプラス自身の答えは、AとBのどちらだっただろうか?ラプラスが決定論者であったことをふまえて、理由もお考えください。
 このクイズは、あなたがどう考えるかではなく、ラプラスが決定論立場からどう答えたか?となっている。正解は「答B」であり、その理由としては、
全知の「ラプラスの悪魔」からすれば、客観的な世界のあり方は、始めから決まっている。問題のコインも、特定の一投げで表が出るか裏が出るか、客観的に決定している。確率が客観的なものならば、表が出る確率は1かOかどちらかしかない。しかしそうすると、「確率」という概念は不要となり、意味を失う。したがって、あえて「確率は?」と問うことが有意義であるべきならば、確率は客観的世界に関する概念ではなく、人間の信念に関する概念として解釈されねばならない。私たちは、コインの偏り方について、表有利なのか裏有利なのか手掛りが何もない以上、平等な態度を取らざるをえない。無知状態のもとでは表の確率は1/2。そう表現する以外にない。
となっており、私も「確率というのは人間の信念に関する概念」という部分はその通りだろうと思う。

 もっとも、出題者が「このコインで表が出る確率は1/2ではない」と明言しているのに「P=1/2」が正解であるというのは矛盾しているように思える。しかし、解答者(表が出るか裏がでるかを当てる人)にとっては、「表が出やすい」ケースと「裏が出やすい」というケースのどちらの仮説が正しいのかについて何の知識も無いので、「表が出やすいという仮説が正しい」確率は1/2とせざるを得ない(その仮説が正しい確率を、1/2より大きい、もしくは小さいとする根拠がどこにもないので消極的にそうせざるをえない)。この場合、表:裏の出る比率が、コインの密度の偏りによって、2:3であろうが、9:1であろうが、あるいは0:10であろうが、どちらの仮説が正しいかとかけ合わせたときの条件付き確率は結果的に1/2になってしまう。
 上記の問題は
このコインは、必ず表が出るか、必ず裏が出るか、いずれかである。コインを投げた時に表が出る確率pはいくらだろうか。
に置き換えてみると分かりやすい。この場合、コイン自体は、表が出るか裏が出るかいずれか、つまり確率は0か1であって、1/2ということは絶対にあり得ない。しかし、どっちのコインか見分けがつかなければ、その人が1回限りの賭けで勝つ確率は1/2となる。

 このあたりは、「モンティ・ホール問題」と共通するところがある。「条件つき確率の大きさは、視点と獲得している情報によって変わる」ということだろう。

 次回に続く。