じぶん更新日記

1997年5月6日開設
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 2017年9月のウォーキング総括と脳年齢チェック。  2017年9月は、総歩数25万7701歩、1日あたり平均8590歩となり2年前の基準の1万2000歩を大きく下回った。1万2000歩未満となったのは2年前の8月以来のことである。上のグラフはいつもの通り、毎日の歩数を少ない順に左から並べたもの。左端の落ち込みは、その月に何らかの事情で歩数が少なかった日があることを示す。右端はその月に最も多く歩いた日の歩数。グラフが12000のあたりで水平になっているほど、毎日の歩数がほぼ安定していたことを意味する。
 9月は中旬以降に風邪をこじらせ歩数0歩の日が4回(←1日中寝込んでいた日)、また快復後もしばらくは夕食後の散歩を取りやめていたことなどにより1000歩以上1万歩未満の日が10回に達した。
 脳年齢チェックのほうも、寝込んでいた日には当然パソコンに向かうことができず、また9月前半の旅行期間に測定できなかったころから、合計で16回しか測定することができなかった。

↓の記事参照。

2017年9月30日(土)


【思ったこと】
170930(土)健康増進活動と毎月のロシアンルーレット

 ↑のグラフにも示されているように、2017年9月は風邪をこじらせて1日平均12000歩を達成することができなかった。2015年9月以来続けてきた1日平均12000歩以上の記録はちょうど丸2年でいったん途切れることとなった。
 この2年間も風邪で寝込んだことは何度かあったが、せいぜい2〜3日の安静で快復したため、月単位での平均歩数はなんとか目標値をキープすることができていた。今回は3日経っても治らず、最終的には内科でクラリス錠やフスコデ配合錠などを処方してもらってなんとか快復にこぎつけることができた。

 このほか、いったんは異状なしと判定された職員定期健診の結果通知からしばらく経って、胃バリウム検査の結果通知が別途送られてきたが、こちらはなっなんと要精密検査となっていて、保健管理センターに相談の上、胃カメラを受けることになった。幸い、バリウム検査で指摘された疑いについては問題なしとなったが、今後もいつどのような形で異状が指摘されるのかどうかは全く予想できない。毎月、頭に短銃をつきつけられてロシアンルーレットのゲームをするようなものと言ってもよいかもしれない。

 もちろん、毎日のウォーキングのような健康増進活動は、健康寿命を延ばす上で有効とは言える。しかし、これはあくまで確率的な有効性であって、癌や心臓疾患といったリスクは一定の確率でつねに起こりうることは覚悟しなければならない。

 こんなこともあり、いま書いている紀要論文の最後は、こんなふうに締めくくろうかと思っている。

「人生の出口」というメタファー
 ここで言う「出口」とは時間軸上の人生を終わりを空間的位置に置き換えたメタファーである。Skinner & Vaughan (1983)が「あなたが信じている宗教や哲学がすでに答えを与えてくれているのなら、本書の意見は無視していただいて結構です。」(大江訳)と述べているように、宗教を信じることで終末期を有意義に過ごせる人はそれに頼るべきであろう。宗教によっては、死を天国の入口というメタファーで説明するかもしれない。天国が虚構であろうとなかろうと、入口に立って何かの準備をするという行動が強化されるのであれば、結果的に前向きな活動を継続できるかもしれない。
 しかし、別の世界の入り口があろうと無かろうと、死によってこの世界から去ることに変わりはない。健康寿命を延ばすためにあらゆる努力を重ねたとしても、定期健診で癌が見つかり余命何ヶ月と宣告されるかもしれない。重い病気が治癒したとしても、やがてまた別の病気に罹る。高齢者にとっては、1つの病気を治すということは、その病気が死因になることを当面回避しただけに過ぎない。もう少し後にやってくる別の死因に取り替えて、いましばらく生き続ける機会を獲得するというだけのことである。「出口」というのは1つの地点であってそこを通過することにはそれほど大きな意味は無いというメタファーとして考えることができれば、出口自体についてあれこれ考えるよりも、出口につながる路上の「いまここ」の過ごし方に関心が向けられるようになるだろう。動植物園であれ博物館・美術館であれ、出口付近には出口でしか味わえない新たな感動が用意されている。寝たきりのままで虫の声を聴いたり、窓際に置いた鉢物の成長を観察したり、日常生活のごく当たり前の所作の1つ1つを味わったり、といったように健康時には注意を向けなかった小さな変化に感動をおぼえることもある。