【思ったこと】 171013(金)日本行動分析学会第35回年次大会(5)超高齢社会における行動分析学(3)選択機会と高齢者の行動的QOL
私の話題提供の2番目のテーマは
●選択機会と高齢者の行動的QOL
であったが、話題提供の時間が20分〜25分と限られていたため、このテーマについては、論文を紹介させていただくだけにとどめた。
- 望月昭 (2001). 行動的QOL:「行動的健康」へのプロアクティブな援助. 行動医学研究, 7, 8-17.
- 長谷川芳典(2012).高齢者のQOLの評価・向上のための行動分析学的アプローチ. 岡山大学文学部紀要, 57,11-26.
- 長谷川芳典(2013).スキナー以後の心理学(21)行動分析学から見た「選択」.岡山大学文学部紀要, 59, 1-16.
- 長谷川芳典・藤田益伸(2013).高齢者における「選択のパラドックス」の実情. 岡山大学文学部紀要, 60,13-28.
上掲の私の論文の中でも何度か指摘させていただいたように、一口に「選択」といっても、いくつかの種類やレベルがある。
- 「〜の自由」は「選択の自由」であり尊重されなければならないが、「〜をする自由」は逆に迷いや後悔の原因にもなる。このことについては、シュワルツの『選択のパラドクス』やアイエンガーの『選択の技術』の中で論じられている通り。
- 単なる好みの選択と、中長期的な進路を決める重大な選択を一緒くたに論じることはできない。前者はある意味ではどうでもいいレベル。
- いくら選択機会を提供しても、当事者にとってどうでもいい選択であればQOLの向上にはつながらない。例えば、お酒を飲まない人に、ビールにしますかワインにしますかと尋ねることは全く無意味。
- 選択は入れ子構造になっている。例えば、きょうは外出するか、家で過ごすかという選択の入れ子の中には、外出する場合はどこに行くかという選択がある。さらに、行き先が決まれば、そこで何をするか(例えばテーマパークが行き先であれば、そこでどういうアトラクションで楽しむかという選択)がある。
さらに、いろいろ選ぶということは、1つの行動を長続きさせることに抵触する。今回の話題提供では以下のような例を挙げさせていただいた。
- 「就活の末、やっとのことで就職。その後転職を繰り返す」vs「家業を継ぎ、職人として生涯を全うする」
- 「自由恋愛の末、結婚と離婚を繰り返す」vs「見合い結婚のあと、生涯、おしどり夫婦として連れ添う」
要するに、「いろいろと選べる」ことよりも「1つの活動を継続」したほうが、実りある人生になるかもしれないという例である。
なお、今回のポスター発表の中に、
●行動的QOL再考―拒否か、選択か、随伴性か―
というポスター発表があった。ポスター会場に行ってみたが、ポスター前に人だかりがしており、個別にお話を伺うことはできなかったが、抄録で拝見する限りは、なかなか興味深い内容であった。
次回に続く。
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