じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
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写真で綴る岡大20年(10)ネコ騒動 2005年の春、文法経1号館と2号館の間の自転車小屋付近でネコの集団が棲み着くようになった。最終的に、法科大学院の学生が卒業時に手分けして引き取り姿を消した。 |
【思ったこと】 180219(月)ボーム『行動主義を理解する』(88)自由(3) 2月18日の続き。 本書の245頁からは、強制の弊害が論じられている。 まず、人々が強制という方法でコントロールしようとする主な理由は「うまくいくのが普通」であるからとされている。強制は、究極的な結果(例えば投獄)によってコントロールされるが、通常、そこまで至る人は殆どいない。実際には、 ...適切な教育を受けると、人間というのは嫌悪的な結果となるような事柄、特に非承認や社会的孤立に非常に敏感になるからである。すべての文化にはタブーがある。あらゆる文化に属するほとんどの人は、タブーに背かないこと、背くと非承認や排斥されるということを学習する。投獄のようななじみのない脅しでも、私たちのほとんどは十分に掟に従う。という形で、「うまくいく」ようになる。 しかし、その反面、強制は、 嫌悪的な手段によってコントロールされる人は、自由を感じないだけでなく、コントロールした人を恨んだり、怒ったり、攻撃したりする。進化の歴史は、これによるところが大きいだろう。なぜなら自然選択は、強制の2つの主要な手段、すなわち痛みの提示と資源の喪失といった手段に攻撃的に反応する個体に有利だからである。という弊害をもたらす。 続く246頁からは、「自由と幸福」に関して重要な記述がある。 ...行動分析家にとって「選択する」ということと自由意志とは何ら関係がない。選べるとは複数の活動が可能であるというだけのことである。...【中略】...社会的自由とは、選べるということよりはむしろ、選んでも罰せられないということと言える。不法な政党や宗教に所属することを私は選ぶかもしれない。それで私が罰せられたなら、私の政治的自由や宗教的自由は制限されているということになる。上記の引用部分は、選択とQOLと本質をついているとも言える。シュワルツやアイエンガーの本でも論じられているように、選択肢の多いことは必ずしも幸福をもたらさない。重要な点は、選択の結果が好子出現をもたらすかどうかである。 選択とQOLの関係については以前にも別のところで書いたことがあるが、例えば、展望レストランの満足度は、眺めのよい座席に座るかどうかによって決まる。「お好きな席にお座り下さい」と言われる場合と、「こちらの席にお座りください」というように座席指定される場合では、形式的には、前者のほうが座席選択の自由があり、後者は座席を強制されたことになるが、満足度を決めるのはけっきょく、その席が眺めのよい席かどうか、つまり、その席に座ることでどれだけ好子出現の強化を受けたのかに依存する。 同じことは職業選択についても言える。自由に職業を選べるというだけでは、働きがいは実現しない。1つの仕事に就いて、その中でいかに好子出現による強化を受けるかどうかが働きがいの決め手である。代々の家業を継ぐ人はいっけん職業選択が強制されているように見えるが、その仕事の中で、一生懸命働くことが好子出現につながるのであれば十分な働きがいが得られる。いっぽう、転職を繰り返しいつまでたっても自分に適した仕事が見つからないという人は、職業選択の自由はあっても、働きがいを獲得することができない。 次回に続く。 |