じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 写真で綴る岡大20年(12)一般教育棟西・ヴィーナス像の破壊
 2013年6月、一般教育棟西側の環境整備工事により、長年親しまれてきたヴィーナス像(←長谷川が勝手に命名)が破壊された。作者は分からないが芸術作品であることは確かなので、保管もしくは別の場所に設置されるものと思い込んでいたが、6月28日夕刻には「惨殺遺体」状態で横たわっていた。
 この像については、そもそも誰の作品で、いつ頃からどういう経緯でここに設置されているのかが不明であった。写真上にもあるように、確かに芸術作品としてはイマイチで習作であるような気もするが、私が岡山に赴任した20数年前からこの場所にあって、雨の日も風の日も、夏の強い日照りのもとでも、寒風吹き荒ぶ冬の寒さのもとでも、一糸まとわぬ姿で立ち続け、私たちを見守ってくれていた。この像については、芸術的にイマイチということもあって、学生のあいだで話題になることは殆ど無かったと思うが、聞く話によれば、厳冬期に、ハダカでは寒かろうとマフラーがつけられたり、また、ウーマンリブが盛んだった頃には女性の裸を見世物にするのはケシカランということで服を着せられたというような逸話を耳にしたこともあった。
 いずれにせよ、芸術的にはどんなに駄作と見なされたとしても、長年にわたって人目にふれる場所に設置されていた作品というのは、設置者や作者の意思を離れて、多くの人との関わりをつくるものである。設置者や作者が不要であると判断しても、重機の一撃で壊してしまったよかったのかどうかは疑問が残る。

2018年2月21日(水)


【思ったこと】
180221(水)ボーム『行動主義を理解する』(90)自由(5)

 2月20日の続き。

 本書250頁からは、罰的統制に代わる正の強化(好子出現の随伴性による強化)の可能性が論じられている。
 違反をした運転手を罰する代わりに、良い運転をする運転手に報酬を提供しようとした共同体がある。ハイウェイ警察が、運転する私たちをときおり止めさせて、制限速度内で運転していたという理由で私たちに金銭を提供してくれたなら、私たちはハイウェイ警察についてまったく違った見方をするだろう。それは国家貨幣の節約になるだろう。職員の数は少なくて済むし、交通事故の裁判も時間がかからなくて済むだろう。さらに、人々は制限速度をこれまで以上に守ろうとするだろう。
 しかし、こうした、罰的統制に代わる正の強化による導入は、必ずしも、よりよい社会を実現させることにはならない。いっぱんに、好子出現の随伴性(正の強化)というのは、行動の直後に好子が出現する時に最も強力な効果をもたらす。どうしても、将来の幸福よりも、目先の利益を追い求めやすくなるという変化をもたらしやすいという特徴があるのだ。じっさい、成果主義はしばしばそういった弊害をもたらしている。短期的で目に見えるような成果ばかりを強化してしまうと、長期的な視点にたった大きな成果に目を向けなくなってしまう。競争原理も同様であり、目先の勝利ばかりを強化してしまうと、真の向上が得られず、時には、ライバルを追い落とすことで相対的な有意性を保とうとするといった、本末転倒の策略に転じてしまう可能性さえある。

 次回に続く。