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8月13日から15日まで夏季一斉休業となった岡大構内は閑散としており、平日の昼間であるにもかかわらず、大学会館&ピーチユニオン前の広場は完全な無人状態となった。 |
【連載】宇宙大作戦(スタートレック)を振り返る(2)ドラマ制作とその後 昨日も述べたように、テレビドラマの宇宙大作戦(1966年〜1969年、「TOS」、Star Trek: The Original Series)は、パイロット版を含めて79話から構成されている。リンク先のウィキペディアによると、放送当時はアメリカ本国ではあまり人気が無かった模様である。 放映当時はSF特有の「とっつきにくさ」が災いし、視聴率的にはふるわず、第2シーズンでの打ちきりが囁かれた。ファンによる手紙での継続嘆願運動などにより何とか第3シーズンは放映できたものの、夜8時30分から夜10時への放映時間の変更やそれに伴うドラマの方向性の変更(そして予算削減による内容の質的低下)が視聴率の低下を招き、結局このシーズンをもって打ちきりとなってしまった。しかしその後、シンジケートで再放送が始まると、次第にアメリカ全土でファンを獲得。ニューヨークなど大都市でコンベンションが開かれるようになった。ということで、ドラマ制作が打ち切りとなった原因と、長期的にみたファンの獲得は必ずしも連動していないようである。 ドラマの創作者ジーン・ロッデンベリーの御名前は、オープニング画面で毎回表示されているが、私自身、今回この話題を取り上げるまでは、どういう方なのか全く存じ上げていなかった。リンク先には、 総指揮・脚本・監督を務めた。ただし契約書にはアイデアの提供のみでサインした為、実は同作を作った事自体では1ドルも儲けていない。とあり、また晩年は 後に『スタートレック』を映画化(1979年)し、大ヒットはしたものの、莫大に膨れ上がった制作費を回収できず、内容面でも厳しい評価を受け、以降の映画シリーズには関与できなかった(制作から制作顧問という役職に回された)。しかし『スタートレック』への創作意欲は衰えず、1980年代後半、ジェイムズ・カークの時代から78年後の「次世代」を舞台にした『新スタートレック』の構想をまとめ、制作にこぎつける。旧作の作品設定を踏まえた世界観、ジャン=リュック・ピカードをはじめとした新キャラクターの成功等で新たなファン層を開拓し、同シリーズの人気を再び盛り上げた。となっていて、波瀾万丈の人生をおくられたようである。 主なキャストのご近況は以下の通り。【出典はウィキペディアほかによる】
不定期ながら次回に続く。 |