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2018年8月のウォーキング総括。2018年8月は、総歩数17万0637歩、1日あたり平均5504歩となり前月の平均1万0506歩を大幅に下回り、前々月6月の平均8217歩よりも少なかった。グラフはいつもの通り、毎日の歩数を少ない順に左から並べたもの。左端の落ち込みは、その月に何らかの事情で歩数が少なかった日があることを示す。 昨日の日記にも述べたように、今年の8月は月平均気温が29.3℃、猛暑日が18回という、例年にない暑い夏となった。このような暑さのもとでは、無理に歩くことが健康に良いのかどうか疑わしくなってきた。エレベーターを使わずに階段を上る、夕食後の散歩をする、半田山植物園を訪れるといった習慣を意図的に休止したこともあり、かなり少ない値となってしまった。 9月に入って涼しくなれば、もう少し歩数が増えるかと思う。 |
【小さな話題】 「チコちゃんに叱られる」のウンチ談義 8月31日放送のNHK「チコちゃんに叱られる(本放送第18回)で、 ●なぜ子どもは「うんち」が好き? という話題を取り上げていた。じっさい、文響社発行のうんこ漢字ドリルは累計発行部数約300万部に達し、リンク先のウィキペディア当該項目によれば、オリコンによる週間本ランキングの総合部門にあたるBOOK部門の2017年5月29日付で「うんこかん字ドリル 小学1年生」「うんこかん字ドリル 小学2年生」「うんこ漢字ドリル 小学3年生」の3作が同時にTOP3を独占し、学習参考書としては初となる総合1位獲得及び初のTOP3独占を達成したという。また、小学生向けのマンガ雑誌(←画面から「月刊コロコロコミックと推察される)では、うんこネタを扱った作品が大人気となり、2018年1月号は約100万部を達成したという。小学生男子の人口は約326万人なので、3人に一人がこの雑誌を買っていると推定されている。 では、なぜこどもは「うんち」好きなのか? この謎に解答を与えたのは、岡大文学部のK教授であった。なお、番組の終わりのところで、「あくまで心理学に基づく専門家の見解です。」という断り書きが流れていたが、念のためお断りしておくと、K教授の教育分野は心理学ではなくドイツ言語文化学であり、「ジークムント・フロイト、精神分析、ダーニエール・パウル・シュレーバー、演劇論、能・狂言、テキスト分析、フリードリヒ・ニーチェ」がご専門である。岡大文学部の教員紹介のところでも「現在のところ、もっぱら精神分析の創始者ジークムント・フロイト(1856〜1939)について研究しています。ただし、心の病気の治療法としての精神分析を実践しているのではありません。あくまで、思想としての精神分析、また精神分析成立の思想的背景を研究しています。」と記されている。なので、同じ文学部で心理学を担当していた者の立場から敢えて言わせて頂くと、「あくまで心理学に基づく専門家の見解です。」というのは誤解を招く恐れがあるように思う。また、精神分析の立場からのウンチ論ということであれば、北村修先生の見解もぜひ紹介してほしかったと思う。 さて、問題の“なぜ子どもは「うんち」が好き?”であるが、 ●うんちを自分の子どもと思っているから というのが今回の解答であった。K教授によれば、子どもがうんちに親しみを持つ理由は、フロイトが提唱したAnale Phase(肛門期)に由来する。2〜4歳ごろの肛門期は、「“うんちをすると気持ちがいい"ということを覚える時期」であり、子どもは2〜4歳ごろの肛門期にうんちが好きになり、「自分の体から出てくるものは自分の子どもと同然」で、愛着を感じているというのがK教授の解釈であった。じっさい、フロイトの「ある5歳男児の恐怖症分析」(1909年)には、父親の「トイレに座ってうんちが出たとき子どもが出てきたと思ったの?」という問いに対して息子は「(アハハ)そうだよ」と答えているという記述があり、また今回の番組で幼児にうんちの絵を描いてもらったところ27人中7人が、うんちに顔を描くなど愛着を示す結果が得られたということであった。 以上が番組の概要であるが、K教授は、番組初登場の話題が「うんち」であり、本当に悩みながら出演をOKしてくださったとのことで、収録中も何度も頭を抱えていたというエピソードが併せて紹介されていた。 でもって、ここからは私の意見ということになるが、まず、フロイトの精神分析によって、発達心理学上の諸課題あるいは現代社会の諸現象がどこまで説明できるのかという疑問があるが、これは問題が大きすぎるのでこれ以上は述べないこととする。 次に、上掲の解釈に関して若干の疑問を述べさせていただく。
ここからは私の解釈になるが、精神分析学ではなく行動分析学から言えば、 ●「うんち」や「しっこ」について語るのが好きなのは、「うんち」や「しっこ」を語ることが強化されやすいから というのが最大の理由ではないかと思われる。 少なくとも日本の文化においては、排泄行為は「人に見られると恥ずかしい行為」であり、また不衛生で避けるべきものとされてきた。2〜3歳児が「うんち」や「しっこ」を口にすると、親は慌ててトイレに連れて行くが、その後、一人でトイレを済ませられるようになると、マンドとしての「うんち」「しっこ」は発せられなくなる。幼稚園年長や小学生あたりになると、そういう言葉は「下品な言葉」、「汚い言葉」であると見なされ、口にするたびに、「そんなこと言ってはいけません」とたしなめられるようになる。親から叱られたり、友だちから「いやねえ」などと言われることはいっけん罰を与えられている(=弱化)ように見えるが、じつはその逆であり、自分が注目されることで強化されてしまう可能性が高い。要するに、言語共同体の中では、
なお、小学生の頃は、「うんち」や「しっこ」を口にしても軽くたしなめられる程度なので「注目」による強化効果のほうが大きい可能性があるが、中学生以上となってくると、そういう「下品」な言葉を使うと逆に注目されなくなり異性からは変態として蔑まされるようになる。ウィキペディアのリンク先に 下ネタの中でも男性器・糞などを扱うことが多いのは、メインの読者層である小学4 - 6年生の男児の受けが圧倒的に良いためで、編集部ではこれを「うんこ・ちんちん原理主義」と呼んでいる。逆の理由で女の子が主人公の作品が掲載される例は少なく、6代目編集長の横田清は「女の子に興味を持ち出したら、その子たちは『コロコロ』を卒業していってもらっていい」「それは子供が成長して次の段階に入ったということ」と語り、...と記されているように、異性に興味をいだくようになれば、「うんち(の発話)」好きは終わりを告げる。但し、それは「発達段階」の推移を示すものではない。単に、「うんち」を口にしても強化されなくなり、逆に異性から嫌われたりして弱化されるようになったためである。 あと、上記の私の解釈では、「うんこ漢字ドリル」や「うんこネタのマンガ雑誌」の人気についての説明がまだ不十分であるが、これについてはいずれ別の機会に論じることにしたい。 |