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時計台前の芝地には赤白2種の彼岸花があるが、今年はなぜか白花(白花曼珠沙華)のほうが先に開花し、白花が萎れた頃になって赤花のほうが咲き始めた。2012年10月2日の日記にあるように、赤白2種が同時に咲いている年もある。 |
【連載】 日本語と英語の違いをめぐる議論(9)文脈に合わせて情報を伝える(2)日本語の会話はとてもやさしい 9月20日の続き。 毎回述べているように、会話行動というのは、特定の文脈のもとで情報を伝達する行動であり、言葉はその手段の一部に過ぎない。よって、話し手と聞き手が同じ環境、同じ文脈のもとで会話をしている時は、単語1語だけでも会話を続けることができる。特に日本語による会話は、冠詞や複数形、代名詞などに気を遣う必要がなく、母音も単純であることから、外国人にとっても学びやすいという特長がある。但しその前提として、会話が行われている文脈をしっかり把握すること、要するに「会話場面での空気を読む」力を養うことが必要となる。これはSNSによる交流でも同様。スレッドを適確に把握していれば単語だけの書き込みでも相手に伝わる。 毎回同じような例ばかり挙げているが、食堂で何かを注文する時は「カレーライス」、「カツ丼」、「天ぷらうどん」というように、名詞1語を言えばよいし、1語でもぶっきらぼうな表現にはならない。 しかし、食堂で水をもらう時には、「水」一語では失礼になる。これは、聞き手(店員)との間で、「私は店員に対して水を依頼している」という文脈が醸成されていないためである。この時は「済みません。水をお願いします。」というように丁寧な表現をとる必要がある。 動物園で、象を見ながら「長い」という形容詞1語を発すれば、聞き手も「そうだねえ」と肯定するだろう。これは話し手と聞き手が、「目の前に象がいる」という同一の文脈でいればこそ成立するのである。 ムラ社会の中で作り上げられていった日本語は、基本的に、同じ文脈の中で生きる人たちが交わすコミュニケーションツールとして有用であるような形に進化した。会話の目的も、相手と情報を共有し、共同で行動したり、共感して絆を保つことに重点が置かれる。見ず知らずの他人と誤解の無いように取引をするツールではない。 家庭内、学校、高齢者施設などの共同生活場面では、その気になれば、名詞、形容詞(副詞を含む)、動詞の単語1語だけで円滑なコミュニケーションが成立するはず。もし上手くいかず、齟齬をきたすことがあったとすれば、それは文脈が共有されていないためである。逆に言えば、「単語1語だけで会話する」というゲームをすれば、どういう文脈が共有されていないかを発見できるかもしれない。 不定期ながら次回に続く。 |