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11月11日は恒例の岡山マラソンが開催された。14時08分頃、清心町交差点近くを通過したところ、ゴールを目指している最後尾に近い選手たちの列に遭遇した。ネットで調べたところ、後楽園近くに39.3kmの関門があり14時24分に閉鎖されるが、写っている人たちはすでにその関門を通過しており、14時45分までにゴールにたどり着けば完走が達成されることが分かった。残り2km前後を30分以内に走る(歩く?)ことはそれほど困難ではないので、選手たちは苦しいながらも達成感を味わっているものと思われた。 |
【小さな話題】 第一次世界大戦終了から100年 今年の11月11日は、第一次世界大戦終了から100年にあたるという。これまで66年間生きてきた私にとって、100年という年月はそれほど大昔ではないようにも思える。もっとも、それを言うなら1868年の明治維新から150年という年月だって同じである。要するに、自分が生まれる前の年数というのは50年であっても100年であっても大差無いということか。 でもって、第一次大戦であるが、世界史をしっかり勉強していなかったこともあり、何が原因で、どことどこの国が戦ってどうなったのかということは殆ど忘れてしまった。但し、以前、アドリア海沿岸諸国を旅行した時、サラエボや、ボスニア・ヘルツェゴヴィナが火種になっていたことは聞いたことがあった。もっとも、現地では、ユーゴスラビア分裂時の民族間の衝突やアルバニア独裁体制の崩壊などの爪痕のほうが大きかった。 1918年11月11日の第一次大戦終了からわずか21年で第二次大戦が始まったことに比べると、1945年以降2018年までの73年間は、ベトナム、アフリカ、中東などで地域レベルの戦争や内戦があったものの、どうにかこうにか大戦を回避してきたことは幸いであった。 第一次大戦は帝国間の争い、第二次大戦は大恐慌後の自国第一主義間の対立が背景にあったとも言われる。いっときグローバル化の流れが進んだかと思えば、最近では再び、ポピュリズムに迎合した自国第一主義が台頭しつつある。このことが第三次大戦の引き金になるとは思えないが、小規模な対立が激化していく恐れはあるかもしれない。 もともと、グローバル化が進めば、個人あるいは国家間の貧富の差が拡大することは必然であった。その反動で自国第一主義の声が上がることも必然ともいえる。とはいえ、保護主義や鎖国で自国経済を発展させることは難しい。保護主義政策をとればとるほどその国の競争力は低下していく。けっきょくはグローバル経済に依拠したほうが国力を強めることとなり、自国第一主義で弱体化した国から戦争をしかけることはあるまいとは思う。 1945年以降、大規模な戦争が回避できたのは、平和思想が定着したおかげではなく、ゲーム理論による力の均衡であったと言わざるを得ない。人類の本質は、絶対的に平和を望むわけではなく、かといって常に攻撃的というわけではもない。文脈によってそのいずれにもなりうる性質を持っている。残念ではあるが、今後も均衡第一主義で平和を維持していくほかはあるまい。 |