Copyright(C)長谷川芳典 |
最近は、夜道で転倒する危険を避けるため、「夕食後の散歩」を「夕食前の散歩」に切り替えているが、16時25分頃、県道沿いを散歩したところ、南西側に沈む夕日に照らされて電線やトランスなどが黄金色に輝いている光景を目にすることができた。電線が輝いて見えるのは、太陽光線と電線との絶妙な角度によるものであり、ほんの数歩移動すると輝きを失ってしまうところが面白い。
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【小さな話題】 チコちゃんに叱られる! なぜ、「花」と「鼻」、どちらもハナ? 12月7日放送の「チコちゃんに叱られる!」第30回で、 ●なぜ、「花」と「鼻」、どちらもハナ? という話題を取り上げていた。植物の部位の名前と顔の部位の名前(いずれも大和言葉)には、
解説者として登場されたのは、原始日本語の研究を30年されておられるという奈良大学名誉教授のK先生であり、その解答は、 ●どちらもパッと目につくものだから であった。また、日本語において顔の部位が植物の部位の名前に共通性が見られるのは、すでに縄文時代から農耕が始まり、穀物を食べて命をつなぐなかで、「穀草と人」を一体化し言葉が対応したためであり、古事記にもオオゲツヒメの屍体から穀物が生まれたという話があり、植物と共に生きているという感覚を受け継ぐものだというお話であった。 植物の部位と人間の顔の部位に「ハナ」、「ハ」、「メ」などの同じ名前がつけられているという話は以前にも、人間植物関係学会だったか園芸療法学会だったか忘れたがどこかで聞いたことがあった[※]。少なくとも人間と植物の共生という観点からはなかなか魅力的な説であるとは思う。 [※追記]この話は、金谷武洋(2003)『日本語文法の謎を解く―「ある」日本語と「する」英語 (ちくま新書) の116〜118頁でも言及されていた。金谷先生によると、荒木博之(1994)『日本語が見えると英語も見える 新英語教育論』(中公新書)が出所であるようだ。なお荒木氏の本では、ぶら下がっている「耳(mimi)」と「実(mi)」、ふくらむ噸(hoho)」と噸(ho)」も、音の繰り返しはあるが同じではないかと指摘されているそうだ。 もっとも、
少なくとも学説として確固たるものにするためには、
なお、1.に関しては、オオゲツヒメと同じような話が東南アジア、オセアニア、南北アメリカ大陸に広く分布しているという(ハイヌウェレ型神話。但し、それらの地域では芋類が主食なので、もしK先生の説が正しいのであれば、それらの地域の言葉では、穀草ではなく芋類の植物の部位が顔の部位に対応している可能性がある。 あと、日本語の同音異義語は、顔と植物の部位以外はすべて偶然なのかという点についてもより詳細な説明が求められる。番組では、
このほか、 ●日本語では、toothは「は」、noseは「はな」というが、なぜ、toothを「はな」、noseを「は」とは呼ばなかったのか【ここでのtoothやnoseは英単語ではなくて、事物そのものを指すものとする】 という別の問題もある。関係フレーム理論が言うように、事物と音声との対応は恣意的関係にあるゆえ、toothを「はな」、noseを「は」と対応づけても何ら支障はないのだが、ブーバ/キキ効果に見られるように、「円唇母音または唇音/非円唇母音または非唇音」の対比なども知られており、顔の部位のようなきわめて基本的な言葉は、ある種の擬音語や擬態語が基になっている可能性もあり、完全に「恣意的」とは言えないかもしれない。 ここからはあくまで私の勝手な想像だが、「歯」は口を大きく開けて「ハーッ」と発生した時に一番よく見える。さらに、口から出ていた息を鼻から出そうとすると「ナーッ」という音にならざるをえない。つまり、息の出る場所を口から鼻に切り替えた時に自然に出る音が「ハーッ、ナーッ」になるという次第。もっともこの長谷川説が正しければ、世界中どの言葉でも「tooth」は「ハーッ」、「nose」は「ハーッナーッ」になるはずだが実際はそうでないので、やはりこじつけの「いき」を出ないようだ。 |