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【連載】 関係反応と関係フレームをどう説明するか(1) 特命教授として担当している「学習・言語心理学(行動分析学)」の授業の中で関係フレーム理論について説明することになっている。このテーマは定年退職前にも、行動分析学入門や大学院の講義の中で扱ってきたが、どうにもこうにも説明が難しい。 その難しさの原因は、日常生活上の常識概念や認知主義的発想が混入してしまい、概念を混同してしまうことにあるのではないかと思う。また、このテーマに関する紹介書では、歴史的経緯からまずシドマンの刺激等価性研究から話を始めている。しかしシドマンの実験はもともと発達障がい児の読解力改善を目ざしたものであり、このモノとこの言葉は同じだよ(対応しているよ)という対称性や推移性に関するものであった。初めてこういう研究を紹介された人は、「同じ」とか「関係」についてどうしても常識概念に囚われてしまう。また、「同じであるという概念をどう理解するか」とか「同じであると認識するようになる」というように、まず認知が変容し、それに基づいて行動が変わるという考え方から抜け出せないようにも思う。 でもって、あくまで隠居人の思いつきであるが、上掲のようなカードを分類する課題を考えてみた。 この課題では、
[※]カードはデタラメに入れることもできるので、トポグラフィーだけで定義すれば、最も基本的な行動は「箱に入れる」となる。 この課題では、何が正解になるのかは文脈によって制御され、見本カードの文字と解答カードの色・形の組み合わせが弁別刺激として機能して正解反応を生み出している。 例えば、「同じ色ならば左の箱、そうでなければ右の箱」という文脈のもとでは、「赤S」という見本に対して、1、2、3のカードは左の箱に、残りは右の箱に入れることが正解となる。 いっぽう「同じ形ならば左の箱、そうでなければ右の箱」という文脈のもとでは、「赤S」という見本に対しては、3、6、9のカードは左の箱に、残りは右の箱に入れることが正解となる。 ここで、「同じ色ならば左の箱、そうでなければ右の箱」とか、「同じ形ならば左の箱、そうでなければ右の箱」は弁別刺激ではなくあくまで文脈である。このことを言葉で教示し、参加者がその言葉を知っていたとするなら、その言語的教示は文脈手がかりとなる。文脈手がかりは、毎回教示してもよいが、条件が変わらなければ2回目からは省略してもよい。(要するに、同じ文脈が続く。) さて、問題となるのは、「赤S」が提示されたもとで、1番目のカード(●、赤い丸)が手持ちであった場合、実験参加者は当然、見本カードと解答カードを比較参照することになる。そして「同じ色ならば左の箱、そうでなければ右の箱」という文脈に照らし合わせて正解となる反応を生じるということになるのだが、「比較参照」とか「文脈に照らし合わせる」というような情報処理的プロセスを仮定するのは徹底的行動主義の立場にはそぐわない。そうではなくて、「見本カードの刺激」と手持ちの「解答カードの刺激」に基づく[※]関係反応が生じたと記述するのが行動主義的な見方ということになるだろう。関係フレーム理論とは、こういう関係反応がどういう形で、どういう範囲まで般化するのかを述べた理論とも言える。 [※]「基づく」というのも曖昧な表現だが、要するに、手持ちの解答カードの刺激だけでは正しい反応ができない。見本カードの刺激と解答カードの刺激との相対的特徴に影響されているということ。 ここでくれぐれも注意していただきたいのは、「見本カードの刺激」と手持ちの「解答カードの刺激」との間には無限に近いさまざまな関係が想定されるので、それらをひっくるめて「相対的関係刺激」と呼んだところで実体は把握できないし、弁別刺激と呼ぶわけにはいかないという点である。文脈があればこそ、無限に近い関係の中のある特定の部分だけが際立つようになり、弁別刺激として利用されるようになるのである。 不定期ながら次回に続く。 |