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山陽自動車道・美東SA(下り線)にあったトリック・アート。 |
【小さな話題】 関係反応と関係フレームをどう説明するか(10)「関係反応」と「関係」(1) 12月27日の続き。 関係フレーム理論を学ぶ人が「関係反応」という言葉を初めて耳にした時は、おそらく「関係反応とは関係に対する反応」というように理解するのではないかと思う。じっさい「関係反応」はそのように説明されていることもあり決して間違いではないのだが、「関係に対する反応」という時の「関係」という言葉には注意が必要であるように思う。このあたりの議論は、 長谷川(2017)スキナー以後の心理学(25) : 「関係反応」概念をめぐる議論 でも論じたことがあるが、執筆時点で考えが及ばなかったこともあるし、まだまだ書き足りない部分もある。 「関係反応とは関係に対する反応」という理解の仕方の一番の問題は、「関係」を認知的に捉えていることにある。すなわち、モノや事象の間にあらかじめ何らかの「関係」があって、それを認知し、その認知に基づいて反応が生じるというような考え方であるが、これは行動分析学の立場からは容認するわけにはいかない。またこのように考えてしまうと、「恣意的に適用可能は関係反応(AARR、arbitrarily applicable relational responding)」についての理解が進まないのではないかと思われる。いくつか例を挙げてみよう。 まず、牧場に親子の牛が居たという例を考えてみよう。「親子」というのは「親」と「子」の関係を含んだ概念ではあるが、単に「牛の親子を見た」というだけでは関係反応とは言えない。但し、いつもはバラバラに動いている親と子が「くっついていた」とか「お乳を飲んでいた」という場面をタクトする言語反応は、関係反応と言えないこともない。 次にAさん(男性)とBさん(女性)の2人が公園で同じベンチに座っていたとする。そこにCさんが散歩にやってきてAさんとBさんを見たとする。この場合、Cさんが、
不定期ながら次回に続く。 |