Copyright(C)長谷川芳典 |
恒例の年賀葉書のお年玉抽選結果が1月20日に発表された。日本郵便のリンク先(こちらにもプレスリリースあり)に各種商品の当選番号が記されているが、2等以外の確率はきわめて低い。
過去日記を調べてみると、我が家では1998年に当時の3等(ふるさと小包、確率1/5000)が当たったという記録があるだけで、それ以降はもっぱら最下位商品の切手が数本程度当たるだけとなっている。 ま、それもそのはず。今回の抽選について言えば、1等の100万本に1本というのは、毎年100枚の賀状を受け取る人が1万年に1回程度、東京2020大会応援賞にいたっては10万年に1回程度という、きわめて稀な確率に過ぎない。ネットで検索したところ任意の1年で隕石の落下で死亡する確率は、最大で25万分の1だというが、我々はふだん、隕石が落ちることなど無視して生活している。年賀葉書で1等や大会応援賞などが当たることなども同レベルであり、このようなきわめて低い確率に引きずられて行動を変えるのはまことにバカバカしいことだと言わざるを得ない。 |
【連載】 関係反応と関係フレームをどう説明するか(22)「関係フレーム」とは何か?(10) いろいろな関係フレーム(5)Coordination(4)類似性 1月18日の続き。 前回取り上げた「関係反応」と「関係」の議論についてはパープルブックの 2.6. EMPIRICAL EVIDENCE FOR RELATIONAL FRAMES AS OPERANTS という節のところで再び考察することとし、元の「等位」の話題に戻ることにしたい。 「等位」については1月17日でも示唆したが、少なくとも2つのタイプがあるように思う。
もちろん万物流転の世界にあっては、自分自身の体内の細胞は常に入れ替わっており10年前と今の自分が同じであるという保証はない。また、時効は成立しないとはいえ、犯罪の容疑者が改心して逃亡先で世間のために尽くしている可能性もある。同一とかアイデンティティというのは、あくまで便宜的なものであって、社会生活の安定と利便性のために人間がそのように反応しているだけというところもある。(じっさい、朝起きてみたら配偶者が全く別の人になっていたり、お金を貸した人が翌日に別人になってしまったりしたのでは、安定的な環境は成り立たない。) もう1つの2.のほうはさらに便宜的なものである。私がよく挙げるのは「2枚の10円玉」の例である。2枚の10円玉は明らかに別々の存在であるが、自販機で何かを買う時には「同じ10円玉」として扱うのである。基本的な見本合わせ課題において、見本刺激と「同じ」刺激を比較刺激の中から選ぶという場合も通常は2.の関係反応が要請されている。 さて、RFTのパープルブックのほうでは、「2.4.1. Coordination」のカテゴリーの中に、「identity」、「sameness」、「similarity」の3つを含めている。「identity」と「sameness」の違いは、まさに上に述べた1.と2.のことを言うのではないかと思われるが、「similarity(似ている、類似性)」までがここに入っている点は少々意外な気がする。 類似性には、2つのタイプがあるように私は思う。 1つは、「同じ」と「違う」の中間に位置するものであり、どこで切り分けるのかは、般化や分化強化、分化弱化によって変わってくる。通常これは、刺激の物理的性質に依存しており、非恣意的な関係と言える。 もう1つは、機能的な類似性であるがこれは適用範囲が広い。不思議の国のアリスの「Why is a raven like a writing-desk?」のなぞなぞに答えがあるように、人間は、2つの事象を何でもかんでも結びつけることができる。パープルブック本文でも指摘されているように、こうした類似性は、文脈的手がかりを必要としている。「カップはボウル(深い鉢のボウル)に似ている」というのは、形が似ているのではなく、「水を溜めることができる」という文脈のもとで機能的に類似しているのである。こうした機能的類似性はアナロジーやメタファーの基礎をなすものであり、臨床的にもきわめて重要なプロセスとして注目されている。 次回に続く。 |