じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 エチオピア航空のボーイング737マックス8型機(Boeing 737 Max 8)が墜落し乗員を含む157名全員が死亡したと報じられている。エチオピア航空の飛行機には2010年に搭乗したことがありさっそく過去写真を調べてみたが機種は分からなかった。但し今回の墜落は最新鋭小型旅客機ということなので2010年にはまだ飛んでいなかったと思われる。
 ちなみに、エチオピアは、タラップから乗降する時に航空機を間近に撮影することが禁止されている。メケレの飛行場では専門の監視員が、デジカメやスマホを構えた観光客に撮影中止やファイルの削除を命じていた。なぜ撮影を禁止しているのか理由はよく分からない。
 エチオピアではこのほか、公共建築物を撮影してはいけないという規則がある。私自身、街中でジャカランタの花を撮影していたところそこはダメだと声をかけられたことがあった。理由は、ジャカランタの背景に郵便局の建物が写るからということである。確かに郵便局は公共建築であるが、なぜ撮影が禁止されているのかはよく分からなかった。とはいえ旅行者である以上、その国の法律には従う必要がある。


2019年3月12日(火)



【小さな話題】価値と覚悟

 3月もあっという間に中旬に入ってしまった。定年退職後はけっこう時間がゆっくり過ぎていたと思っていたのだが、ここへきて時間の流れが速くなったような気がする。特に3月1日から12日までは、なんでこんなにはやく過ぎてしまったのかよく分からなくなった。

 定年退職からの1年間を振り返ってみると、自分なりに目一杯、やりたいことをやってきたという気がする。家族の交流のほか(←個人情報が含まれるのでWeb日記には書かない)、ニュージーランド、キルギス、チベット、オーストラリアに旅行したり、気象条件の悪化で延泊を余儀なくされた札幌でもそれなりに懐かしい場所を回った。このほか、最近では日々の散歩の一環として、半田山植物園をほぼ毎日訪れている。

 これらはいずれも「する」ことであり、ハリス(2012)の価値の基準を満たしているようにも思える。幸い、今のところ健康状態が良好なので、2019年度も、目一杯に旅行に出かけたり、植物との触れあいを大切にしたいとは思っている。

 もっとも、2019年度が思い通りに進むかどうかは甚だこころもとない。いま申し込んでいる4本のツアーは、いずれも催行未定となっており、これまでの経験則からいうとこのうち2本、最悪の場合はすべて催行中止になりそうな気配である。(←とはいえ、4本すべて催行された場合、日程的にも、旅行資金の点からもこちらからキャンセルせざるを得ないツアーが出てくることは確かだが。)

 これまでは、今年が催行中止なら来年でかければよいというように気楽に考えていたが、これからは自分の健康状態の急変も考慮する必要がある。ツアーの中には健康診断書の提出が求められているものもあるが、来年度も旅行参加OKという診断結果が得られるという保証はない。健康問題は自分だけの問題ではない。例えば妻が寝たきりになったとしたら、いくらなんでも介護を他の人に任せて旅行に出かけるというわけにはいくまい。

 この先、今まで通りの生活がずっと続くと考えるのは幻想であるが、だからといって先のことは案じてもしようがない。どういう困難に遭遇するのかはその時になってみなければ分からないし、事前に防ぐことはできない以上、現状の活動が続けられる期間(たぶんあと5年以内)はその条件のもとでできることを目一杯やればよいというのが基本姿勢となる。

 とはいえ、「いまの生活はじきに終わる」ことをしっかりと受け入れ、そうなってもうろたえないための覚悟はやはり必要ではないかと思っている。私は子ども時代から根っからの無宗教であり、輪廻、霊魂、極楽浄土などは私の人生にとっては全く無意味な仮想概念に過ぎない。とはいえ、最近NHK「こころの時代」で再放送されている唯識の思想などには結構興味をいだいており、また、武士の覚悟にもそれなりに学ぶところがあると思っている。もちろん、私にとって一番受け入れやすい覚悟は、自分を地球上の1つの生命体としてとらえ、生から死に至るまでのプロセスを100%必然として受け入れた上で、それぞれの段階で最適の生き方を貫くという考え方である。

 「覚悟」というのは必ずしも「諦め」ではない。旅行先に喩えて言えば「さらば京都」とか「さらば北海道」というように、「しっかりと別れを告げること」ではないかと思っている。もちろん何らかの事情で京都や北海道を再訪することはあるだろうが、あえて「さらば」を使うというのは、「私の人生では、これから先、この地を二度と訪れることはないかもしれないが、それでも満足。吾唯知足じゃあ【←岡山弁】。」という、悔いを残さない感覚を持つことである。すべての対象に対して、しっかりと「さらば」が言えるようになることが、覚悟の集大成になるのではないかとも思っている。