じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
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 妻の実家にあった黄梅。この時期が見頃。確か、雲南黄梅ではなかったかと思ったが未確認。


2019年3月21日(木)



【小さな話題】又吉直樹のヘウレーカ!「ボクらはなぜ“絵”を描くのか?」(1)言葉と描画の意外な接点

 NHKで水曜日夜に放送されている「又吉直樹のヘウレーカ!」の意見と感想。今回は、3月13日初回放送の、

●ボクらはなぜ“絵”を描くのか?

の前半部分について感想を述べさせていただく。

 番組では冒頭、チンパンジー、ボノボ、オランウータンなどが描いた絵が紹介された。作者は、「言葉」の学習などで有名な個体ばかりであるが、作品はいずれも殴り書きのような「抽象画」であって、何かを写生したようには全く見えない。

 番組では続いて、チンパンジーの顔の輪郭のみが描かれているのっぺらぼうの絵や、片目だけ欠けている絵を使った実験研究が紹介された。こうした下絵が与えられた時、おおむね2歳半を過ぎた人間の子どもは、のっぺらぼうの部分に2つの目、さらには鼻や口を描こうとする。いっぽうチンパンジーの場合は、下絵の上に殴り書きをしたり(アイ)、片目があった場合にはそこを塗りつぶしたり(ポポ)、顔の輪郭部分をなぞる(パン)というように個体差を示したものの、いずれも、下絵に無い片目を補うような行動は示さなかった。

 これらのことから、どうやら、
  • チンパンジーは、下絵に実際に描かれているもの(そこに“ある”もの)に目がいってしまう。そこに“ない”ものはない。
  • ヒトは、「目がない、鼻がない」というふうに“ない”ものを想像して描く。

という本質的な違いがあることが示唆される。登場された斎藤亜矢先生は、「今ここにないモノを想像する力」こそが「ヒトが独自に発展させた能力ではないか」と解説しておられた。

 この「想像力」というのは、線や節穴、切り株、樹皮などの無意味な文様をモノの形に見立てる力にもつながる。我々はしばしば、丸い穴が2つ、その下に長方形がある図形を見ただけで顔の形として見立てることがあるが、人間以外の動物は、どうやら、そのような抽象図形を実物と関係づけることができないようである。【擬態のように色や形がそっくりの対象を見間違えることはあるが、抽象図形に関係づけることはできない。】

 番組ではさらに、

●(人間の)子どもたちが描き始める“モノ”は、見たものというよりは知っている“モノ”

であると指摘されていた。斎藤先生はさらに、
  • 自分の中にできてきた概念を描くのが子どもの絵のはじまり
  • モノの見方の特徴は、言葉を持ったことと関係している。
  • 何でも言葉でラベルをつけて理解する、カテゴリーに分けるっていうことでもある。
  • 子どもが【顔などのシンボリックな】絵を描き始める時期は、語彙が爆発的に増えてくる時期に一致している
  • モノにはそれに対応した言葉があることを理解して、一気に言葉で認識する世界が広がってくる
  • 言葉があると描く時にも言葉で捉えた世界を逆に絵に表現しようとしてしまう
  • 普通に絵を描こうとすると記号的な描き方になる
というように論じておられた。【長谷川の聞き取りによるため、不正確な表現の恐れあり】

 斎藤先生は、「想像する力」、「自分の中にできてきた概念」、「モノにはそれに対応した言葉があることを理解して」というような言い回しをされていたが、これらは関係フレーム理論における「恣意的に適用可能な関係反応」に置き換えて解釈することもできる。

 「今ここにないモノを想像する」というのは、具体的な事象を、言葉(音声、文字、幾何学図形)と関係づけることに相違あるまい。いま目の前にいない人の顔を描けるというのは、「顔」を何らかの幾何学模様と関係づけているからにほかならない(もちろん、筆づかいがうまく運ばないことや、他の事物も同時に描こうとするため、描かれた絵は毎回同じにはならない。)

 余談だが、チンパンジーなど、人間以外の動物に言葉を教える研究は多数行われてきた。そのロジックは、「人間以外の動物は言葉を学習できないというのが素朴な常識になっているが、実際に訓練をしたところ、少なくとも一頭(一匹、一羽)においてはここまでできることが明らかになった」という、常識概念を打ち破る「反例を示す実験」であったと理解している。しかし、多数の実験研究が行われた結果、短期記憶課題などでは人間を上回る能力を発揮できる可能性があることが示されたいっぽう、刺激等価性に端を発した研究を通じて、恣意的に適用可能な関係反応を派生させることが殆ど困難であるという結論に至りつつあるように思われる。その場合、「チンパンジーにはXという課題はできない」というだけの結論であれば「そりゃ、人間のほうが賢いからで当たり前だろう」という形で受け止められて意外性は少ない。しかし、過去の研究を通じて、「チンパンジーはAという課題では人間を上回る能力を発揮するいっぽう、Bという課題では人間の3歳児以下のレベルにとどまる」というようにAとBを対比できたことによって、一般向けにアピール可能な「意外性」を保ちつつ、言語行動の本質がより詳細に明らかにできたという点で、飛躍的な発展をもたらしたと言うことができる。

次回に続く。